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茨城県(神栖市)・手子后(てごさき)神社

茨城県(神栖市)・手子后(てごさき)神社
20181118

もの凄い清々しさを感じさせる神社だね。

ホント清らかって感じ。

自分の内なるもどかしさが少し和らいでいくような。

素晴らしいです。

感謝

二拝二拍一拝


基本情報
所在地:〒314-0408 茨城県神栖市波崎8819
電話:0479-26-3302


Official site











手子后神社
手子后神社(てごさきじんじゃ)は、茨城県神栖市波崎にある神社。神遊社の古名があり、鹿島神宮末社に属した時期は天宮社と呼ばれていた。古い地誌は手子崎神社の表記を使っている。常陸原明神という俗称を記した観光地誌もある。港町の鎮守であり、漁師の崇敬が厚い。旧社格は村社。

祭神
手子比売命
漁師の崇敬が厚く、鎮守祭(旧暦2月1日)には出漁を避けることで、この時期の時化から逃れてきたという。古くは初出漁船や遠隔地に出漁する漁船は、船出前に利根川の明神下で無事を祈った。
鹿島志に、旧記に「神遊社」ともいい、「大神の御女の神」が祭神とある。
鹿島神宮伝記に、「本社の巽に当り、天宮社あり、手子妃と申し、大明神の女と申す」と記述がある(大日本地名辞書)。
新編常陸国誌は、祭神は鹿島神宮の御女ではなく、常陸国風土記の「海上の安是の嬢子」ではないかとする考察を付している。手子は女子の愛称であり、万葉集に真間の手児奈、石井の手児、左和多里の手児等の例があり、また地名とした例に、駿河の手児の呼坂や手子の浦(田子の浦)等を挙げている。
大日本地名辞書は、「海上の安是の嬢子」を祀る社であり、童子女の松原の遺称地であることは疑いないとしている。また童子女が松樹になったという部分は、その墓を意味すると考察している。
常陸国風土記の記述
常陸国風土記の香島郡の条に、昔、童子女の松原というところに、俗にかみのをとこ、かみのをとめという年少童子女がいたという話が記されている。

童を那賀の寒田の郎子(いらつこ)、女を海上の安是(あぜ)の嬢子(をとめ)といった。容姿端麗で郷里に名声を響かせ、互いにそれを聞いて惹かれるようになった。月日を経て、?歌で二人が偶然出会い、歌を交わし、人目を避けるため松下に隠れて相語らった。やがて夜が明け、二人は人に見られることを恥じて、松の樹になった。郎子を奈美松、嬢子を古津松という。

波崎には、常陸国風土記の物語に因んだ「童子女の松原公園」がある。

境内社

境内にある厳島神社
茨城県神社写真帳には下記の7社が記載されている。

境内案内板には厳島神社、浅間神社、稲荷神社、天満宮、金刀比羅宮の5社のみが記載されている。

厳島神社(市杵島姫命)
浅間神社(木花咲耶姫命)
稲荷神社(宇賀御魂命)
天満宮(天神様)(菅原道真)
金刀比羅宮(琴平宮)(大物主命)
高尾神社(伊弉諾命)
猿田神社(猿田彦命)
歴史
神護景雲年間(767年~770年)創建。

社伝では、古くより息栖神社・大洗磯前神社とともに「鹿島神宮の三摂社」と称されてきたとしている。元は鹿島神領に鎮座していたことから、その境外末社に属し、近世には大宮司以下が毎年鹿島神宮で祭典を行なっ                                          。

大日本地名辞書は、近世に鹿島神宮末社に属したことを踏まえつつも、「近世何者か、是社の縁起を偽造して、息栖神と一体とし、其由来を注すれど、信用するに足らず」としている。現在はさらに大洗磯前神社が加わっているが、この括りは疑わしいとしている。

鹿島志、新編常陸国誌、大日本地名辞書等の地誌は、「手子崎神社」の表記を使っている。
明治維新後、近代社格制度で村社に列した。


 
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