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千葉県(成田市)・イオンモール成田

千葉県(成田市)・イオンモール成田
20190906
 
イオンモール成田
 
平日なのになんか多いなと思ったら、リニューアル30日目。
 
しっかし長い。
 
「歩く」だろうね。
 
うん、面積的には宮崎の方が広いね。
 
 
基本情報
所在地:〒286-0029 千葉県成田市ウイング土屋24
 

Official site
 
イオンモール成田
イオンモール成田(イオンモールなりた)は、千葉県成田市ウイング土屋に所在するイオンモール株式会社運営のモール型ショッピングセンターである。成田国際空港の近隣施設としてインバウンド需要を取り込んでいる。
 
概要
成田国際空港から約5キロメートル、成田市土屋山ノ崎(現在の成田市ウイング土屋)の商業用地に2000年(平成12年)3月18日にグランドオープンした。敷地面積135,771平方メートル。店舗面積71,808平方メートル(オープン時65,276平方メートル)。地上2階建て。東西約580メートル、南北約80メートル。駐車場は4,000台(オープン時3,500台)収容可能の大型ショッピングモールである。ハートビル法認定店舗。
成田空港に近いという場所柄もあり、成田空港周辺のホテルに宿泊する乗り継ぎ客や乗務員、成田空港に勤務する航空会社の社員を中心とした外国人の買い物客も多く、マロウドインターナショナルホテル成田・ホテル日航成田・成田ビューホテルなど主要ホテルとの間の巡回バスも運行されている。また、成田空港が主催するトランジットツアーの目的地の一つともなっている。
2019年には全店舗の約60%となる専門店約100店舗の大規模リニューアルを開始し、同年4月20日に新規30店、移転8店、改装50店の計88店舗が第1期としてリニューアルオープンし、同年7月12日の第2期には新規7店舗、移転2店舗、改装4店舗の計13店舗をリニューアルオープンした。1階には地域最大となる食物販ゾーン「満福参道」、レストラン街「NARITA美食小町」、2階には14店舗約900席のフードコート「フードフォレスト」が展開する。館内各所には無料の携帯電話充電スポット、大型サイネージモニター(電子看板)を配置し、成田市特別観光大使「うなりくん」を起用した「うなりくん広場」には大型曲面型LEDビジョンを導入するなど施設面も大規模リニューアルを行った。『Narita Glocal Urban Life』をリニューアルコンセプトとし、「日本の玄関都市『成田』を象徴する役割を担う」としている。
 
沿革
2000年(平成12年)3月18日 - イオン成田ショッピングセンター開業。
2006年(平成18年)
5月25日 - 北側の平面駐車場の立体駐車場化工事完成。
7月 - イオン成田ショッピングセンターとHUMAXシネマズ8の接続通路の設置工事完成。
9月11日 - リニューアルプレオープン。
9月15日 - スポーツクラブ横の旧立体駐車場部分を店舗の増床に充てる工事が行われ、48の新たな専門店が加わりリニューアルオープン。
2007年(平成19年)9月22日 - イオン成田ショッピングセンターからイオンモール成田へ名称変更。
2011年(平成22年)3月1日 - 「ジャスコ」の名称を「イオン」に変更したことに伴い、店名の「ジャスコイオン成田店」は「イオン成田店」に変更。
2012年(平成24年)9月 - 数十の専門店とイオンの一部の売場で閉店、移転、リニューアルが始まる。
10月20日 - 第一弾リニューアルオープン
11月23日 - リニューアル・グランドオープン
2019年
4月20日 - 第1期リニューアルオープン
7月12日 - 第2期リニューアルオープン

沿革
2000年(平成12年)3月18日 - イオン成田ショッピングセンター開業。
2006年(平成18年)
5月25日 - 北側の平面駐車場の立体駐車場化工事完成。
7月 - イオン成田ショッピングセンターとHUMAXシネマズ8の接続通路の設置工事完成。
9月11日 - リニューアルプレオープン。
9月15日 - スポーツクラブ横の旧立体駐車場部分を店舗の増床に充てる工事が行われ、48の新たな専門店が加わりリニューアルオープン。
2007年(平成19年)9月22日 - イオン成田ショッピングセンターからイオンモール成田へ名称変更。
2011年(平成22年)3月1日 - 「ジャスコ」の名称を「イオン」に変更したことに伴い、店名の「ジャスコイオン成田店」は「イオン成田店」に変更。
2012年(平成24年)9月 - 数十の専門店とイオンの一部の売場で閉店、移転、リニューアルが始まる。
10月20日 - 第一弾リニューアルオープン
11月23日 - リニューアル・グランドオープン
2019年
4月20日 - 第1期リニューアルオープン
7月12日 - 第2期リニューアルオープン
2000年(平成12年)3月18日 - イオン成田ショッピングセンター開業。
2006年(平成18年)
5月25日 - 北側の平面駐車場の立体駐車場化工事完成。
7月 - イオン成田ショッピングセンターとHUMAXシネマズ8の接続通路の設置工事完成。
9月11日 - リニューアルプレオープン。
9月15日 - スポーツクラブ横の旧立体駐車場部分を店舗の増床に充てる工事が行われ、48の新たな専門店が加わりリニューアルオープン。
2007年(平成19年)9月22日 - イオン成田ショッピングセンターからイオンモール成田へ名称変更。
2011年(平成22年)3月1日 - 「ジャスコ」の名称を「イオン」に変更したことに伴い、店名の「ジャスコイオン成田店」は「イオン成田店」に変更。
2012年(平成24年)9月 - 数十の専門店とイオンの一部の売場で閉店、移転、リニューアルが始まる。
10月20日 - 第一弾リニューアルオープン
11月23日 - リニューアル・グランドオープン
2019年
4月20日 - 第1期リニューアルオープン
7月12日 - 第2期リニューアルオープン
 
建物概要
※2000年オープン当初
建物設置者 - イオン興産株式会社
敷地面積 - 116,308.23平方メートル
建築面積 - 52,136.28平方メートル
延床面積 - 97,115.57平方メートル
建物構造 - 鉄骨造2階建一部塔屋付
駐車台数 - 約3,500台
建築設計・施工 - 株式会社福田組
ディベロッパー投資額 - 約150億円
(ハートビル法適用店舗)
 
商圏
1次商圏 (自動車で約10分圏 17,000世帯 48,000人 )
2次商圏 (自動車で約20分圏 22,000世帯 62,000人 )
3次商圏 (自動車で約30分圏 55,000世帯 178,000人 )
影響圏 (自動車で約40分圏 82,000世帯 265,000人 )
計 176,000世帯 553,000人

主なテナント
核テナントはイオン成田店である。出店している専門店全店の一覧・詳細情報は公式サイト「ショップリスト」を参照。
 
営業時間
店舗により異なる。詳細は公式サイト「営業時間・サービス案内」を参照。
 
アクセス
直通バス(京成成田駅西口)

鉄道
JR東日本 成田駅・京成電鉄 京成成田駅から徒歩約28分(2019年7月現在、Googleマップ参考)
 
自動車
東関東自動車道 成田ICから約10分。また、国道51号、国道408号からもアクセス可能。
 
バス
京成成田駅西口から千葉交通の直通バスで約10分。
富里市方面からの路線や安食駅方面からの路線(安食台・酒直台・竜角寺台経由、土曜日・休日のみ運行)。
成田空港周辺ホテルとの巡回バスも運行されている。
 
風和里しばやま(芝山町)、JR日向駅、JR成東駅、山武市役所、JR求名駅から、ちばフラワーバスさんむ成田線(さんむウイングライナー)の一部便が連絡している。それ以外の便も、京成成田駅、空港第2旅客ターミナル(成田国際空港)と連絡する。
 
その他
北総線を成田空港駅まで直結させる京成成田空港線が2010年に完成し、東日本旅客鉄道(JR東日本)成田線の空港支線とともにイオンモール成田の北側に線路が通っている。
国道51号沿いの成田市東町(京成線のガード横、成田駅から徒歩約10分)には、2006年8月31日まで当モール内の「ジャスコイオン成田店」とは別に「ジャスコ成田店」店舗面積14,297m²が存在しており、閉店・解体された後、2015年11月19日、同じ敷地にイオンタウン成田富里として新築・開店している。
 
【成田市の概要】
成田市(なりたし)は、千葉県北部中央の印旛地域に位置する業務核都市。都市雇用圏における成田都市圏の中心都市であり、成田商圏を形成する商業中心都市。国家戦略特区、構造改革特区、国際観光モデル地区、国際会議観光都市および拠点空港都市。財政力指数は日本全国813市区中第4位であり、門前町の歴史的町並みは日本遺産に認定されている。
概要
国際線旅客数および貿易額日本最大の国際拠点空港である成田国際空港を有する国際ビジネス・イノベーションの拠点空港都市である。初詣の寺院参拝客数日本一の成田山新勝寺(成田参詣)などで知られており、市の観光入込客数は約1479万人、宿泊客数は約308万人を記録する日本屈指の観光都市でもある。
訪日観光客がよく利用する所謂「ゴールデンルートと称される関西国際空港 - 大阪 - 京都 - 名古屋 - 富士山 - 箱根 - 東京 - 成田 - 成田国際空港(またはその逆)訪日観光コース上の拠点(宿泊・周辺観光)となっている。また、観光庁による広域観光周遊ルート形成促進事業の広域関東周遊ルート「東京圏大回廊」においても江戸回廊ルートとして組み込まれている。
古くから成田山新勝寺、宗吾霊堂の二大霊場を有する門前町として栄えた。明治時代には宮内庁下総御料牧場が置かれるなど、1950年代まで観光と農業の振興を二大施策とした田園都市であった。1960年代に入ると市の南東部に成田国際空港の建設が決定され、1978年(昭和53年)の空港開港や日本の高度経済成長期(1954年 - 1973年)とともに成田市の市域が拡大し、経済発展の影響から産業構造に多大な変化がもたらされる事になる。現在では農業人口は減少し都市近郊農業型へと転換している。その反面、ゴルフ場や空港関連のサービス業など第三次産業が生まれ、新たな雇用が創出された。また観光面にも力を入れており、成田山新勝寺では正月三が日だけで270万人以上、年間約1000万人もの参拝客で賑わう。
成田空港における航空機の騒音であるが、成田市街地からは離れた丘陵部に位置しているため、航空機の騒音被害を殆ど受けない地域も多い。航空機の騒音被害を受けるのは、空港の滑走路周辺と航路直下である。空港用地の大部分は成田市に属するため、固定資産税などの関連税収は成田市に入ることが多く、財政の豊かさは全国有数である。しかし、空港用地の一部がかかる芝山町などの被害は見過ごされがちであるのに対し、空港利益を独り占めしているという批判もある。現在、地域と共生する空港づくり掲げ、航空需要の増大に従う騒音問題などに向き合っている。なお、2013年(平成25年)に開港35周年を迎えたが、現在も成田国際空港の完全開港はなされていない。
1986年(昭和61年)には東京一極集中の回避を目的とする業務核都市に指定され、千葉県からは千葉新産業三角構想の中核都市として位置付けられている。国の構造改革特別区域法に基づき2003年(平成15年)4月21日に国際空港特区、同年5月23日には国際教育推進特区に認定された。2006年(平成18年)3月27日、香取郡下総町、大栄町を編入した[8]。
東洋経済新報社による「安心度」「利便度」「快適度」「富裕度」の4つの観点から住みやすい都市を評価する「住みよさランキング」では、2009年度全国総合1位の評価を受けている。また、通勤圏を考慮した新方式では東京都稲城市に次いで2位の評価を受けている。
地理
千葉県の北部中央に位置し、都道府県庁所在地の千葉市から約25キロメートルの距離である。東京都の都心から50 - 60キロメートル圏内である。成田市の中心市街地(市役所の位置)から成田国際空港までは更に約5キロメートル離れている。
下総台地に位置し、成田山新勝寺およびその門前町を中心に展開している。面積は213.84 平方キロメートル(千葉県下6位)で、県土の4.1%。市の南西部に門前町(旧市街地)とニュータウンが、南東部の丘陵地帯に成田国際空港がある。これらの地域郊外には農業地帯が広がる。市の西部にある印旛沼、北辺の茨城県との県境を流れる利根川から農業用水の取り込みを行っており、重要な水源でもある。
位置
(極東)所字北割地先 - 東経140度28分21秒
(極西)北須賀字中外埜地先 - 東経140度14分57秒
(極南)南三里塚字東地先 - 北緯35度43分24秒
(極北)小浮字流作地先 - 北緯35度54分09秒
地形
千葉県北部中央の北総台地に位置する。標高は最低標高の1メートル(安西地先)から最高標高の42メートル(南三里塚地先)となっている。成田市の市域の5分の3の面積は海抜10メートルから海抜40メートルの丘陵部であり、関東ローム層が地表を覆う高燥な台地となっている。残りは印旛沼や根木名川水系から入る浸食谷による平らな低湿地帯であり、土地利用も全く異なる。
台地部では山林と畑が混在し野菜畑や落花生畑、牧草地などに、低地部は豊かな水に恵まれ水田に利用されてきた。現在も美しい田園風景が広がっている。また、下総台地の崖下に市街地が広がっており、「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」に該当する急傾斜崩壊危険区域が市内に68箇所ある。成田層(固結した砂層)が雨水によって侵食され、固結粘土層との間にすべりを生じ関東ローム層とともに崩壊する事例が台風などによる大雨により発生する事が度々あり、擁壁工などの整備が進められている。
市域
広袤(こうぼう):東西20.1キロメートル 南北19.9キロメートル
自然
一級河川:利根川、大須賀川、根木名川、派川根木名川、尾羽根川、荒海川、小橋川、取香川、十日川、派川十日川、竜台川
湖沼:北印旛沼、坂田ケ池、弁天池、バタ池(羽田池)、西池、浅間池
気候
年間の平均気温は14.2度、年間降水量は1429.1ミリメートル。年間通して比較的温暖な気候に恵まれる千葉県の中では気温が低い。1月の最低気温の平均は千葉市で1.9度に対し、-2.4度。毎年氷点下5度以下を記録し、年間の0度以下の冬日日数は50 - 80日ほどであり、千葉県の沿岸部とは大きな気候の違いがある。過去最低気温は1984年(昭和59年)1月20日に-10.7度を記録している。春から夏にかけて南西の風が強く吹く事が多く、夜間に放射霧が発生する割合が高い。霧が発生し易い理由として内陸性気候で気温の日較差が激しく、周辺の利根川、印旛沼、中小河川、耕地や水田などが多湿な状況を作り出している事が挙げられる。
隣接している自治体
印西市
富里市
香取市
印旛郡 : 栄町、酒々井町
香取郡 : 神崎町、多古町※
山武郡 : 芝山町
茨城県稲敷郡 : 河内町
※成田市内に香取郡多古町一鍬田の飛地が存在する。

歴史
地名の由来
成田(なりた)の地名の由来には諸説あり
昔から雷が多い為、雷の良く鳴る田「鳴田(なるた)」→「成田」とされる説。
稲の出来が良い土地の為「熟田(なりた)」→「成田」とされる説。
最近の研究では、開墾を行い、なりわい(なりわい業)の田「業田(なりた)」→「成田」
などの説がある。
前史(古代)
※成田市の歴史と、旧下総町・大栄町の歴史とは別項目にわける事とする。

船塚古墳(前方後方墳)
成田付近には旧石器時代の約3万年前から人間が居住していた事が、空港建設に伴う発掘調査(新東京国際空港No.55遺跡(古込))によって判明し、発掘された楕円形石斧は千葉県内最古の遺物として位置づけられている。
縄文時代の南羽鳥中岫第1遺跡では、人頭形土製品などが出土し、国の重要文化財に指定されている。また関東地方最後の大貝塚である荒海貝塚などがあり、縄文時代最後の土器とされる「荒海式土器」が発掘され、国立歴史民俗博物館(佐倉市)の調査では稲作の可能性が明らかにされている。西暦3世紀終わり頃の古墳時代、市内には多くの古墳が出現した。近隣の龍角寺古墳群や日吉倉古墳群を含め、約340基の古墳が存在する。成田市は、水運に恵まれ、大和王権にとっては、重要なルート上に位置し、政治・軍事・経済上重要な地域だったとされる。市域では、成田ニュータウンに位置する船塚古墳が全国的に有名であり、周堀と土堤をめぐらした完全な姿は偉容である。また、古墳用の埴輪を焼いた登り窯(公津原埴輪窯跡)が古墳のすぐ近くで発見されたが、成田ニュータウンの造成により消滅した。千葉県内には他にもう1ヵ所、木更津市畑沢に畑沢埴輪窯跡が発掘されたのみで、貴重な遺跡であった。古文書に成田市域の地名が出るのは755年『万葉集』に「印波郡丈部直大歳、埴生郡大伴部麻与佐」の歌がみえる。埴生郡(はにふのこほり)は、成田市近辺にあたる。

『万葉集』「第20巻4392番」より
(原文)
阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟
(和歌)
天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ
(訳)
天の神、地の神、どの神に祈ったら、いとしい母に、また話しができるのでしょうか。

成田の文字が確認されるのは、1408年(応永15年)成田村安養寺の聖観音菩薩坐像胎内に「成田郷 応永十五年」の銘がみえる。940年(天慶3年)承平天慶の乱(平将門の乱)が平定され、新勝寺が創建されたと同寺縁起にみえる。

江戸時代
江戸時代中期、成田は門前町としての色を濃くしていった。参拝者の増加と共に、飯屋や居酒屋などが次第に専業化していった。記録によると、1701年(元禄14年)には旅籠が1件も無い農村であったが、1843年(天保14年)には旅籠32軒となっている。当時の農村とはしては珍しく、煙草、刀剣の研、髪結、提灯、蝋燭、傘、下駄屋などがあり、江戸との間を結ぶ成田街道をはじめ、利根川の木下河岸(印西市)、常陸国を結ぶ滑川河川、香取・佐原・芝山・九十九里などを結ぶ道などが集中する交通の要衝として栄え、参拝者以外の旅人でも賑わった。1881年(明治14年)6月および1882年(明治15年)6月に、明治天皇が千葉県下の下総種畜場(後の宮内庁下総御料牧場)へ行幸する際に成田山を行在所(あんざいしょ)と定めた。境内には「明治天皇成田行在所」の碑が建てられている。
1871年(明治4年)に旧成田市域は印旛県に属し、1873年(明治6年)千葉県に統合された。1876年(明治9年)の大区小区制では、第10区11-16小区に属す。明治11年、埴生郡は下埴生郡と改称。印旛郡公津新田が八生村に、下埴生郡成木新田が公津村に編入され、1897年(明治30年)下埴生郡が印旛郡へと編入され、旧市域はすべて印旛郡となる。
江戸時代に佐倉七牧と呼ばれた馬の放牧地があり、明治時代に入るとその内の一牧「取香牧」(現・成田市取香・三里塚付近)に牧羊場が開場した。以後、宮内庁管轄となり下総御料牧場の基礎輸入牝馬で知られる「下総御料牧場」となる。この頃から下総台地の佐倉牧や小金牧などで開墾が行われ始め、成田の「十余三」はその13番目の開墾地名である。

成田山信仰
明治以後は観光の振興に力を入れ、交通の整備が急速に進んだ。それ以前は東京から成田まで片道二日の行程が普通であったが、乗合馬車の整備により半日で到達可能になった。また鉄道敷設の気運が高まり、1901年(明治34年)成田鉄道(初代)により成田 - 我孫子(現・成田線)が開通、日本鉄道(現・常磐線)と接続し上野駅に直結させた。1910年(明治43年)には、成宗電気軌道(現千葉交通の前身)により成田門前 - 成田駅に県下初の電気軌道が運行を開始する。大正末期には、成田駅の乗降客数は千葉駅に次ぐ千葉県内第2位まで増加した。
明治期の成田は成田山参詣の恩恵を受け、特に活気に満ちていた。しかし急速に交通網が整備されたため、参詣客が増加する反面日帰り客の増加を招き、旅館業者の宿泊客が奪われ、転業するものが増えた。もっとも産業自体は活気に満ちており、この頃登場し、現在でも成田名物として有名な「栗ようかん」など、薬、酒、たばこ、飲食、料理、土産物屋などが参道に店を連ねた。町の発展に伴い、千葉郡にあった物産陳列館も成田町に移され、町立千葉県物産館が開館した。また成田町には佐倉警察署成田分署、佐倉裁判所成田出張所、成田郵便局、大日銀行、九十八銀行、各保険会社の代理店などが置かれ、現市域の中枢としての機能を有していた。
大正時代に入り、第一次世界大戦によってもたらされた活況や、その反動により起こった恐慌にも成田の参詣客数には関係なく、宿泊客数も増加した。この頃から、成田瓦斯会社(後に成宗電気軌道に合併)によって、市内にガス灯が灯るようになる、しかし、成宗電気軌道による電灯用電気供給により、以後ガス灯を圧倒していった。成田の経済を象徴する物として、この頃成田銀行が一時経営不振に陥るが、その後川崎銀行の元で経営を再建、市内の中小銀行を併合し「総武銀行」、「千葉合同銀行」と改称、後に現在の「千葉銀行」となる。大正期、成田は第二次世界大戦前のピークを形作る。
戦時中、『江戸時代、成田山の仁王門再建工事をしていた大工"辰五郎"が誤って高い足場から転落したが、成田山の焼印を押したお守りが二つに割れ、お不動様の霊験により怪我ひとつなく助かった』という地域内の言われから、出兵兵士達の間で成田山の「身代わり札」が流行した。太平洋戦争末期、戦争の長期化により物資の不足が深刻化すると、成田山公園に設置されていた銅像やようかんの看板、不要不急線として成田鉄道(2代)の鉄道線(多古線)、次いで軌道線(旧成田電気軌道[成宗電気軌道])が廃線となり国に供出された。また、市内に直接的な空襲被害は無かったが、1945年(昭和20年)2月、八生国民学校校舎に米軍機が撃墜され墜落。校舎が全焼する事件が起き、米兵の引渡し騒動など一部混乱はおきたが特に害は無かった。1945年(昭和20年)8月15日、終戦を迎えたが相次ぐ凶作や急激な物価高騰の影響を受けて戦時下より一層生活困窮に陥った。また、消息不明未帰還者が相次ぐなど、市内にも戦争の残した爪跡は決して少ない物では無かった。

成田市の誕生
終戦後、1953年(昭和28年)に町村合併促進法が制定され、翌年の1954年(昭和29年)3月31日、成田町、公津村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の1町6村が合併し、(旧)成田市が誕生する。成田は田園観光都市として、農業を中心とした都市形態であったが、1966年(昭和41年)6月22日の新東京国際空港建設計画(三里塚案)の発表、それに続く佐藤栄作内閣による7月4日の閣議決定(空港の位置及び規模について)によって町は一変する事になる。
空港建設の決定に伴い、市議会は即時空港建設反対の決議をしたものの、翌月には決議を白紙に戻し、空港建設を積極的に協力する姿勢を打ち出した。しかし計画地近辺の地元住民らを中心に、何の説明も無く意見を無視し国家権力を振りかざした新空港建設に、激しい憤りの声が挙がった。市民の間では空港建設に対して賛否がわかれ、閣議決定に前後し、地元の約1千戸、3千人もの住民によって三里塚芝山連合空港反対同盟が結成。1968年(昭和43年)には、反日共系全学連などと共に決起集会を共催。反対闘争は強化され、ついには死者を出すなど、深刻な社会問題と発展し、現代史に残る三里塚闘争や成田空港問題となる。相次ぐ流血の惨事に成田市では「暴力行為の排除と信仰の町成田の平和と繁栄の為に市民の協力を願う」との主の声明を出す。こうした混乱の中、1978年(昭和53年)5月20日、全国から約13,000人の機動隊員が動員され、厳戒態勢の中、現在の成田国際空港が開港した。
その後、空港関連事業として、東関東自動車道の開通、内陸工業団地、成田ニュータウンが千葉県北総開発局(現・千葉県企業庁)によって造成され、現在ではベッドタウン化が進んでおり、人口も増加傾向にある。また、近年では百貨店や大型ショッピングセンターが市内に立地し、北総地域の商業都市としての一面もある。しかし、政府による空港建設の強行は、地域住民・日本国政府・地方公共団体との間の信頼関係を崩壊させ、用地買収も進まず、成田空港は開港から35年以上経つ今日でも完全開港が成されていない。
沿革
940年 (天慶 3年) : 成田山新勝寺開山(成田山縁起による)正式名称 成田山明王院新護新勝寺。
1408年(応永15年): 成田村安養寺の聖観音菩薩坐像胎内に「成田郷 応永十五年」の銘が見える。(成田の地名の初見。安養寺の火災により聖観音菩薩は寺台の永興寺に移される。)
1889年(明治22年): 4月1日 町村制施行により成田町、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村(下埴生郡)、公津村(印旛郡)の7ヶ町村が誕生。
1897年(明治30年)1月19日: 成田鉄道の佐倉 - 成田が開通。12月29日には成田 - 滑川も開通。
4月1日: 下埴生郡が印旛郡に編入され、成田町以下6町村が印旛郡に属する。
1900年(明治33年): 内務省より、長沼の沼地無償払い下げが認可される(長沼事件)。
1901年(明治34年)4月1日: 成田鉄道の成田 - 我孫子が開通。
1910年(明治43年)
成宗電気軌道第1トンネル跡(2012年)
12月11日: 成宗電気軌道の成田山門前 - 成田駅前間開通。成宗電気軌道の火力発電所から一般家庭に電灯用電力の供給が開始される。県下で2番目の電力供給。
1911年(明治44年)7月1日: 千葉県営鉄道多古線の成田 - 三里塚間が開通。10月5日には三里塚 - 多古間が開通。
1914年(大正 3年)5月18日: 千葉県営鉄道八街線の三里塚 - 八街間が開通する。
1920年(大正 9年)9月1日: 成田鉄道が国有化され、成田線と呼称。
1926年(大正15年)12月24日: 京成電気軌道(現・京成電鉄)酒々井 - 花咲町(仮駅)間が開通。
1930年(昭和 5年)4月25日: 京成電気軌道、花咲町 - 京成成田間開業。
1938年(昭和13年)3月28日: 成田山開基一千年祭記念開帳が始まる。
1954年(昭和29年)3月31日: 成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村が合併し、成田市が誕生する。千葉県内で11番目の市制施行。人口44,724人。
1958年(昭和33年)10月31日: 成田市役所新庁舎落成(それまでは旧成田町役場の物を使用)。
1966年(昭和41年)
6月22日: 佐藤栄作総理大臣(当時)から友納武人県知事(当時)へ、国・県有地を中心に極力民有地の面積を抑えて三里塚に新空港を建設したいとの協力要請がされる。突然の内定に建設予定地は大混乱に陥る。
6月25日: 県知事から藤倉武男成田市長(当時)に三里塚に新空港を建設したいと正式に協力を要請。同日、三里塚小学校にて新空港説明会を実施。大混乱となる。
7月4日: 新東京国際空港の位置及び規模について閣議決定。空港の建設予定地が千葉県成田市三里塚の宮内庁下総御料牧場周辺に決定する。成田市議会が新空港反対決議を採択(賛成17・反対5・白票3)。
7月12日: 県は空港建設に伴う移転や、土地売買に関する相談を受け付ける「千葉県国際空港相談所」を開設する。
8月2日: 成田市議会、新空港反対決議を白紙撤回。
1967年(昭和42年)6月27日: 大橋武夫運輸大臣(当時)が成田入り、反対派が国鉄成田駅を占拠する。
1968年(昭和43年)
1月29日: 甚兵衛大橋が開通。甚兵衛渡しが役目を終える。
2月15日: 長豊橋が完成。これにより成田-江戸崎線が開通。茨城県と橋で繋がる。
3月26日: 国鉄千葉 - 成田間が電化。
1969年(昭和44年)
3月: 印旛沼開発事業竣工。
5月7日: 国道51号線(佐倉 - 佐原間)が6年の歳月をかけ舗装化。
1970年(昭和45年)
4月28日: 資材輸送専用線(国鉄成田駅から分岐、大株から土屋地先に至る約2.9キロメートル)が一部開通(全通は8月31日)。
8月18日: 新東京国際空港建設に伴い下総御料牧場閉場。以降空港建設反対運動が激化する。
8月21日: 押畑に市総合運動場の第1期施設工事として大谷津運動公園野球場が開場。6万7000平方メートルを造成して建設された。
1972年(昭和47年)
4月1日: 成田ニュータウンへの入居が始まる。
8月19日 :新空港自動車道(現・東関東自動車道) 富里IC - 成田IC間供用開始。
11月25日: 京成電鉄、京成成田駅 - 成田空港駅(現・東成田駅)間完成。
12月21日: 成田用水事業が国営事業として水資源開発公団により始まる。
1973年(昭和48年)
4月30日: 成田空港A滑走路(4,000メートル)完成。
10月14日: 成田ニュータウンに中台運動公園がオープン。中台運動公園野球場が開場。
10月15日 - 10月18日: 第28回国民体育大会(若潮国体秋季大会)の軟式野球(一般軟式)会場(大谷津運動公園野球場、中台運動公園野球場、成田高等学校野球場、西中学校野球場、中台中学校グラウンド)となる。
1974年(昭和49年)
6月4日: 成田市公設地方卸売市場(青果部)開場。
10月28日: 成田市は、空港関連事業の予算見通しが立たなくなり、財政困難に陥る。「非常事態宣言」を発令し財政再建対策委員会を設置。(成田空港開港と共に解消。以後好転に向かう。)
1975年(昭和50年)3月28日: 市制20周年記念事業として、成田国際文化会館が開館。
1976年(昭和50年)
4月1日: いずみ清掃工場が開設。収集日が週3日になる。
5月12日: 新東京国際空港の安全確保に関する緊急処置法(現:成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法)成立。
5月20日: 空港開港、翌日より運行開始。
5月21日: 京成スカイライナーが成田空港駅(現東成田駅)乗り入れ。新空港自動車道 成田IC - 新空港IC間供用開始。
1980年(昭和55年)5月1日: 成田用水の幹線がほぼ完成。暫定通水開始。翌年本格通水。
1981年(昭和56年)2月: 国道51号の成田橋が全面開通。
1983年(昭和58年)6月: 千葉県は「千葉新産業三角構想」を策定し、成田市、千葉市、木更津市、の3市を核都市とした。
1984年(昭和59年)10月27日: 市制30周年記念事業として、成田ニュータウン赤坂地区に市立図書館が開館。
1985年(昭和60年)2月27日: 東関東自動車道成田IC - 大栄IC間供用開始。
1986年(昭和61年)
2月24日: 国鉄成田線、佐倉 - 成田間が複線化。
3月24日: 成田市、佐倉市、栄町、芝山町が国の国際観光モデル地区に指定。
4月6日 国鉄成田駅西口広場が供用開始。
「第4次首都圏基本計画」において、成田広域連携拠点として業務核都市に指定される。
1988年(昭和63年)
4月28日 - 5月28日: 成田山開基1050年祭記念開帳。
9月14日: 咸陽市と友好都市提携に調印。
11月7日: 成田市役所新庁舎落成。業務開始(現庁舎)。
1990年(平成 2年)10月6日: サンブルーノ市と姉妹都市提携に調印。
1991年(平成 3年)
3月19日: 成田空港駅までJR・京成電鉄が開通。
11月21日: 成田空港問題第1回シンポジウム開催。
1992年(平成 4年)
12月6日: 成田空港第2旅客ターミナルビルが開業。
7月23日: 京成成田駅と京成成田駅東口広場結ぶ京成成田駅東口地下道が完成。
1993年(平成 5年)
5月1日: 防災行政無線運用開始。
5月24日: 成田空港問題シンポジウムが終結。
9月20日: 成田空港問題第1回円卓会議が開かれる。
1994年(平成 6年)10月11日: 成田空港問題円卓会議が終結。
2002年(平成14年)4月18日: 成田空港暫定平行滑走路(B滑走路)供用開始。
2004年(平成16年)11月13日: 成田市制施行50周年記念式典が成田国際文化会館で執り行われる。
2005年(平成17年)11月18日: 人口が10万人に達する。
2006年(平成18年)
3月27日: 下総町・大栄町を編入合併。人口120,237人となる。
3月29日: 環境マネジメントシステムの国際規格「ISO14001」を認証取得。
2008年(平成20年)9月27日: 成田山新勝寺表参道の道案内となるモニュメント「時空の舞(ときのまい)」除幕式。
2009年(平成21年)
10月22日 成田空港B滑走路が当初の計画より北側へ延伸され2,500メートル化、供用開始。
2010年(平成22年)
2月5日: 成田市の第1回成田空港成長戦略会議を開催。
4月 市の観光キャラクター「うなりくん」がデビュー。
9月25日 - 10月5日: 第65回国民体育大会(ゆめ半島千葉国体)の柔道・ゴルフ・ソフトボール会場となる。
7月1日: 成田空援隊が設立、活動を開始。
7月17日: 成田新高速鉄道(京成成田空港線)が開通。市内に成田湯川駅が設けられる。
9月26日: 一坪田に大栄野球場が開場。
10月13日: 「成田空港に関する四者協議会」において、成田空港の年間発着容量30万回への容量拡大について国・千葉県・空港周辺9市町およびNAAの四者で合意。
2012年(平成24年)
12月13日: 成田空港A滑走路が開港以来初の4000メートル全面運用を開始。
2013年(平成25年)
3月31日: 成田空港が年間発着容量27万回化し、オープンスカイ協定を導入。
2015年(平成27年)
2月27日:スカイタウン成田(JR成田駅東口再開発ビル)が完成。
4月8日: 成田空港第3旅客ターミナル(LCC専用ターミナル)が開業。
6月7日: 圏央道 神崎IC - 大栄JCT間開通、市内に下総ICが開設。
備考
成田空港開港直後の1980年の成田市の人口は68,418人であり、2007年までに3万人程度増加している。その殆どが市外からの転入者であり、当時の関係者の高齢化と供に成田空港問題を知らない住民が増えた事が成田空港問題の風化を早めていると言う指摘がある。1995年に誕生した第4代小川国彦・市長はその象徴であり、元社会党国会議員・一坪運動の地権者の一人(=用地収容反対運動)として登記された人物である。
成田市議会では平成9年11月、市内で起きた芝山鉄道専務宅で発生した爆破事件をきっかけに、同年12月10日「過激派暴力集団の排除等に関する決議」を決議し、極左暴力集団の一掃と根絶を図る事を要望した。また、成田市議会の他に、県内27市議会、千葉県議会、芝山町議会他51町村議会、山武郡市町村会及び JFEスチール千葉協力会など203団体が同じく「極左暴力集団排除決議」を決議している。
方言
成田の方言は利根川下流地域で使われる言葉である。「…しましょう」「…だろう」、或いは「…でしょう」など、話し手の意思を表すのに「べー」がよく使われる(例:遊んべー、行くべー)。この「べー」も場所により「だっぺ」や「だべー」と違いが見られる(茨城県では「だっぺ」や「ぺ」が使用されており、茨城寄りになるほど「ぺ」が使われる頻度が高まる)。また、単語にも地域の特性を持つ物や標準語に近い物がある。しかし、最近では方言を使う人は減り、使用されているのは一部地域のみである。
平成の大合併
2002年(平成15年)12月15日に成田地域任意合併検討協議会が初会合を開催、 2003年(平成15年)2月22日に成田地域任意合併検討協議会で、富里市、下総町、大栄町、多古町、芝山町、栄町、神崎町、栗源町、横芝町、蓮沼村の2市8町1村が法定協議会の規約を承認して翌月の参加各市町村の定例会に法定協議会設置の議案を提出することになった。
合併における争点の一つは、成田空港関連の固定資産税などの税収入をほぼ独占している成田市と、騒音問題を抱えているにもかかわらず、空港収入が少ない周辺市町村との温度差であった。合併の枠組みは、松尾町が山武地区の合併協議会へ参加したため離脱し、2市8町1村による議論になったが、2003年(平成15年)3月5日に成田市議会が11市町村での法定協議会設置を否決して市長の小川国彦(当時)が辞意表明し、空港圏合併任意協議会は解散した。
空港関連収入の取り分が少なくなる事を嫌って、その後成田市は「成田市への編入合併」を前提に富里市、香取郡下総町・大栄町・多古町及び芝山町に対し合併協議参加を呼びかけたが、富里市・多古町・芝山町は「新設合併」を主張し不参加。結果、2006年(平成18年)3月27日に下総町と大栄町を編入することが決まった。成田市が富里市との新設合併を拒否した理由として、財政展望が明るくないことに加え、成田空港建設当時、富里・八街地区への空港建設案があり、両町村が激しい空港建設反対運動を展開したため、成田市への建設が閣議決定された経緯がある。
平成の大合併沿革
2004年(平成16年)
3月1日 成田市・下総町・大栄町合併協議会設置。
5月27日 千葉県知事が合併重点支援地域に指定。
2005年(平成17年)
3月15日 合併協定調印。
3月16日 成田市、下総町の議会で合併申請議案可決。
3月18日 大栄町の議会で合併申請議案可決。
3月25日 県へ合併申請。
4月6日 臨時県議会で議決。
4月12日 県で合併決定。
5月13日 総務大臣による官報告示。
2006年(平成18年)
3月27日 下総町・大栄町が成田市に編入合併。
平成の大合併後の動き
2007年3月、千葉県により、市町村合併第2ステージ「千葉県市町村合併構想」が発表され、成田空港圏自治体連絡協議会や地域振興連絡協議会に参加した神崎町、栄町を含む、成田市、富里市、多古町、芝山町の2市4町案が提案される。
2007年11月より、成田市を除く、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の1市4町の首長による合併懇談会が開かれる。
2008年8月5日、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の1市4町の首長が成田市役所を訪れ、小泉一成市長に「千葉県市町村合併推進構想」に示された、成田市、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の2市4町による合併協議の申し入れを提出する。
2008年9月2日、成田市、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の2市4町の経済団体代表者らが成田市役所を訪れ、小泉一成市長に「2市4町による合併実現に関する要望書」を提出する。
2008年9月29日、富里市、栄町、神崎町、多古町、芝山町の1市4町の首長へ「合併協議申入れに関する回答書」で、新たな合併に取り組むよりも、当面の成田市の諸課題に全力を傾けていきたい旨を回答する。
行政
市長
15・16代 小泉一成 (こいずみ かずなり) - 2007年(平成19年)1月22日 - 現職。
歴代市長
初代 石原貞三 (いしはら ていぞう) - 1954年(昭和29年)4月27日 - 1956年9月24日
2 - 5代 藤倉武男 (ふじくら たけお) - 1956年(昭和31年)11月10日 - 1971年4月30日
6 - 11代 長谷川録太郎 (はせがわ ろくたろう) - 1971年(昭和46年)5月30日 - 1995年5月29日
12・13代 小川国彦 (おがわ くにひこ) - 1995年(平成7年)5月30日 - 2003年3月24日
14代 小林攻 (こばやし おさむ) - 2003年(平成15年)4月28日 - 2006年12月4日 (2006年12月2日、収賄容疑で逮捕。2007年9月14日、千葉地裁にて懲役2年、追徴金1200万円の実刑判決)
政策
都市宣言
世界連邦平和都市宣言 昭和33年10月31日宣言
公明選挙都市宣言 昭和39年12月21日宣言
交通安全都市宣言 昭和41年9月22日宣言
非核平和都市宣言 平成7年2月21日宣言
スポーツ健康都市宣言 平成16年11月7日宣言
市のキャッチフレーズ
空港(そら)交流(ふれあい)希望(ゆめ)創造都市成田
成田市民憲章(昭和46年11月3日制定)
信仰のまち、世界に通ずるまち成田は、わたくしたちのふるさとです。ゆたかな自然と文化にめぐまれてきたわたくしたち成田市民は、大きな希望と誇りをもって世界に伸びようとしています。わたくしたちは、成田のかがやかしい発展とおたがいのしあわせをねがい、市民憲章をさだめます。
1, 親切な心で 平和な成田を つくりましょう。
1, よろこんで働き 豊かな成田を つくりましょう。
1, きまりをまもり 住みよい成田を つくりましょう。
1, 自然と文化を大切にし 美しい成田を つくりましょう。
1, 若い力をそだて 明るい成田を つくりましょう。
業務核都市基本構想
東京圏の都市問題解決を図るため、業務機能をはじめとする諸機能の適正配置の受け皿として地域の広域中心都市となるべき都市が業務核都市に指定された。千葉県では、千葉市を中心とする区域、木更津市を中心とする区域、成田市を中心とする区域及び千葉ニュータウンの中央部・東部の区域、柏市を中心とする4つの区域が業務核都市として位置付けられている。
県は、多極分散型国土形成促進法に基づく、成田・千葉ニュータウン業務核都市基本構想[20] を策定し2004年3月23日主務大臣(国土交通省、総務省、経済産業省、厚生労働省)の承認を得て、同年4月6日県報に告示した。今後は、本基本構想に基づき、成田地域(成田市、富里市(一部))と千葉ニュータウンの中央部・東部の地域(印西市(一部)、白井市(一部))を一体の業務核都市として国、県、地元市町村等と連携を図りながら、積極的に育成整備を推進していくことになる。
行政
市長
15・16代 小泉一成 (こいずみ かずなり) - 2007年(平成19年)1月22日 - 現職。
歴代市長
初代 石原貞三 (いしはら ていぞう) - 1954年(昭和29年)4月27日 - 1956年9月24日
2 - 5代 藤倉武男 (ふじくら たけお) - 1956年(昭和31年)11月10日 - 1971年4月30日
6 - 11代 長谷川録太郎 (はせがわ ろくたろう) - 1971年(昭和46年)5月30日 - 1995年5月29日
12・13代 小川国彦 (おがわ くにひこ) - 1995年(平成7年)5月30日 - 2003年3月24日
14代 小林攻 (こばやし おさむ) - 2003年(平成15年)4月28日 - 2006年12月4日 (2006年12月2日、収賄容疑で逮捕。2007年9月14日、千葉地裁にて懲役2年、追徴金1200万円の実刑判決)
政策
都市宣言
世界連邦平和都市宣言 昭和33年10月31日宣言
公明選挙都市宣言 昭和39年12月21日宣言
交通安全都市宣言 昭和41年9月22日宣言
非核平和都市宣言 平成7年2月21日宣言
スポーツ健康都市宣言 平成16年11月7日宣言
市のキャッチフレーズ
空港(そら)交流(ふれあい)希望(ゆめ)創造都市成田
成田市民憲章(昭和46年11月3日制定)
信仰のまち、世界に通ずるまち成田は、わたくしたちのふるさとです。ゆたかな自然と文化にめぐまれてきたわたくしたち成田市民は、大きな希望と誇りをもって世界に伸びようとしています。わたくしたちは、成田のかがやかしい発展とおたがいのしあわせをねがい、市民憲章をさだめます。
1, 親切な心で 平和な成田を つくりましょう。
1, よろこんで働き 豊かな成田を つくりましょう。
1, きまりをまもり 住みよい成田を つくりましょう。
1, 自然と文化を大切にし 美しい成田を つくりましょう。
1, 若い力をそだて 明るい成田を つくりましょう。
業務核都市基本構想
東京圏の都市問題解決を図るため、業務機能をはじめとする諸機能の適正配置の受け皿として地域の広域中心都市となるべき都市が業務核都市に指定された。千葉県では、千葉市を中心とする区域、木更津市を中心とする区域、成田市を中心とする区域及び千葉ニュータウンの中央部・東部の区域、柏市を中心とする4つの区域が業務核都市として位置付けられている。
県は、多極分散型国土形成促進法に基づく、成田・千葉ニュータウン業務核都市基本構想[20] を策定し2004年3月23日主務大臣(国土交通省、総務省、経済産業省、厚生労働省)の承認を得て、同年4月6日県報に告示した。今後は、本基本構想に基づき、成田地域(成田市、富里市(一部))と千葉ニュータウンの中央部・東部の地域(印西市(一部)、白井市(一部))を一体の業務核都市として国、県、地元市町村等と連携を図りながら、積極的に育成整備を推進していくことになる。
議会の組織
議会運営委員会の他、常任委員会が4つ、特別委員会が設置されている。
議会運営委員会
常任委員会
総務
教育民生
経済環境
建設水道
特別委員会
空港対策
交通対策
健康づくり
議会改革
大学誘致調査
行政組織
行政組織図
市職員数は1178人(平成25年4月1日現在 市長、副市長及び教育長を除く。)
会計管理者 - 会計室
副市長
企画政策部 - 企画政策課(成田ブランド推進室・大学誘致推進室)・秘書課・広報課(国際交流室)・人事課
総務部 - 総務課・行政管理課・管財課・契約検査課(工事検査室)・危機管理課
財政部 - 財政課・市民税課・資産税課・納税課(債権回収対策室)
空港部 - 地域振興課・空港対策課
市民生活部 - 市民課・保険年金課・市民協働課(市民相談室)・交通防犯課・下総支所・大栄支所
環境部 - 環境計画課・環境対策課・クリーン推進課・環境衛生課
福祉部 - 社会福祉課・高齢者福祉課・障がい者福祉課・介護保険課
健康こども部 - 子育て支援課・保育課・健康増進課
経済部 - 観光プロモーション課・商工課・農政課・卸売市場
土木部 - 土木課・道路管理課・建築住宅課・下水道課
都市部 - 都市計画課・市街地整備課(再開発事業室)・公園緑地課・街路課
水道事業 - 水道部 - 業務課・公務課
議会 - 事務局
監査委員 - 事務局
農業委員会 - 事務局
選挙管理委員会 - 事務局
教育委員会 - 教育長
教育総務部 - 教育総務課・学校施設課・学務課・教育指導課・学校給食センター・大栄幼稚園・小学校・中学校
生涯学習部 - 生涯学習課・生涯スポーツ課・公民館・図書館
消防 - 消防長
消防本部 - 消防総務課・予防課・警防課・指揮指令課
署 - 成田消防署・赤坂消防署・三里塚消防署・大栄消防署

役所
下総支所庁舎
下総支所庁舎
成田国際空港警察署
成田国際空港警察署
成田市消防本部
成田市消防本部
成田市役所(本庁舎)成田市花崎町760番地
成田市下総支所(旧下総町役場)成田市猿山1080番地
成田市大栄支所 成田市松子413番地1
警察
成田警察署(管内は、成田市・富里市並びに印旛郡栄町の一部<安食地区>)
成田国際空港警察署(管内は、成田国際空港供用区域)
千葉県警察成田合同庁舎
成田国際空港警備隊
自動車警ら隊成田方面隊
交通機動隊成田分駐隊
高速道路交通警察隊成田分駐隊
機動捜査隊成田方面隊
北総地区少年センター
消防
成田市消防本部
成田消防署
飯岡分署
三里塚消防署
空港分署
赤坂消防署
公津分署
大栄消防署
下総分署
消防団(12分団97ヶ部)
第1分団 成田地区 9ケ部
第2分団 公津地区 11ケ部
第3分団 八生地区 8ケ部
第4分団 中郷地区 8ケ部
第4分団 久住地区 11ケ部
第6分団 豊住地区 7ケ部
第7分団 遠山地区 12ケ部
第8分団 滑川・小御門 6ケ部
第9分団 高岡・名木 5ヶ部
第10分団 大須賀・桜田 6ヶ部
第11分団 津富浦 7ヶ部
第12分団 前林・川上 7ヶ部
成田国際空港株式会社 - 空港における大規模災害に備えた空港内専用消防署。
西分遣所
2ビル待機所
裁判所
当市には裁判所は所在しない。近隣の佐倉市にある、千葉地方裁判所佐倉支部、千葉家庭裁判所佐倉支部、佐倉簡易裁判所を利用する。
治安・事故
成田市の治安状況は成田空港の影響もあり、平成14年度の刑法犯認知件数4,042件を記録し、平成15年より治安悪化の煽りを受けて成田防犯連合会が組織され、犯罪の予防警戒、自主防犯活動、青少年非行防止及び健全育成のための活動などが行われている。また、成田市交通防犯課では防犯パトロールカー(白黒塗装)で市内を巡回し防犯を呼びかけるアナウンスを流すなどし、現在は認知件数は減少傾向にある。
市内で起こった主な事件・事故・自然災害
広域行政
県議会
成田市単独で千葉県議会の選挙区(成田市選挙区、定数2)を構成する。千葉県#議会も参照。
衆議院小選挙区
千葉県第10区に属する。
印旛利根川水防事務組合
八千代市、印西市、白井市、佐倉市、四街道市、栄町、酒々井町及び本市の6市2町で構成されている。
印旛郡市広域市町村圏事務組合
佐倉市、四街道市、印西市、白井市、八街市、富里市、酒々井町、栄町及び本市の7市2町で構成されている。
八富成田斎場
八街市、富里市及び本市で管理運営されている。
国の機関
法務省
千葉地方法務局佐倉支局成田出張所
国税庁
東京国税局成田税務署
厚生労働省
千葉労働局成田労働基準監督署
千葉労働局成田公共職業安定所
千葉労働局成田パートサテライト
空港関連機関
国土交通省
東京航空局
成田空港事務所
外務省
大臣官房総務課成田分室
気象庁
成田航空地方気象台
出入国在留管理庁
東京出入国在留管理局成田空港支局
厚生労働省
成田空港検疫所
財務省
東京税関成田税関支署
東京税関成田航空貨物出張所
東京税関監視部麻薬探知犬訓練センター
農林水産省
横浜植物防疫所成田支所
動物検疫所成田支所
県の機関
千葉県水道局成田給水場
千葉県水道局千葉ニュータウン営業所成田支所
千葉県土整備部成田土木事務所
千葉県土整備部北千葉道路建設事務所
千葉県健康福祉部印旛健康福祉センター成田支所(保健所)
成田ナンバー
国の規制緩和によりご当地ナンバーが認められ、2006年(平成18年)10月10日から「成田」ナンバーが導入された。対象地域は成田市、富里市、山武市、香取郡神崎町・多古町、山武郡芝山町・横芝光町である。なお旧ナンバーは「千葉」。当初、小林攻市長(当時)はローマ字での「NARITA」ナンバーの創設を要望したものの、「地域名は漢字二文字」という原則により2005年7月29日「成田」ナンバーと決定した。排気量125cc以下の二輪車についてはローマ字「NARITA」の併記が認められ、2006年3月27日の新市発足と同時に交付された。
経済
産業
第一次産業
 


 
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〒 811-5501

長崎県壱岐市勝本浦勝本浦356

TEL:090-1343-7993

   
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株式会社イーハイブ
 
株式会社カムラック