千葉県(銚子市)・銚子港
20210522
19t巻網漁船
限定できるほど精度が高いなら悔しいけど巻網に軍配(笑)
氷見も松浦も定置網。大間も実際は町はさびれていると聞く。やはり、うちは組合長、理事をぶっ飛ば
しても漁師同士で話し合いを持つべきだと切に願う。
基本情報
所在地: 〒288-0001 千葉県銚子市川口町
銚子漁港
銚子漁港
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銚子魚港
Choshi Port
Estuary of Tone river 20081229.jpg
利根川河口右岸の銚子漁港
所在地
国 日本の旗 日本
所在地 千葉県銚子市
座標 北緯35度44分16秒 東経140度50分11秒座標: 北緯35度44分16秒 東経140度50分11秒
詳細
開港 1951年7月10日(政令上)
管理者 千葉県
種類 特定第3種漁港
LOCODE JP_CHO
漁港番号 1930010
漁業協同組合 銚子市漁業協同組合
統計
統計年度 2012年度(参考)
総陸揚量 21万3,535トン
陸揚金額 243億1400万円
公式サイト 銚子漁港(銚子市公式)
この表について[表示]
銚子漁港(ちょうしぎょこう)は、千葉県銚子市の太平洋に面する漁港漁場整備法上の特定第3種漁港(国指定最重要漁港)である。日本三大漁港の一つであり、3つの卸売市場を抱える日本屈指の水産物流通拠点である。年間水揚量では全国第1位[1]。
水郷筑波国定公園の指定区域内にあり周辺の海岸は砂浜、天然の岩礁と変化に富んだ風光明媚な地形を有している。
歴史
古代・中世
漁業の町「飯沼」
銚子口と呼ばれた地形
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成した空中写真
平安時代において、房総半島は上総国、下総国、安房国の三国となり、『倭名類聚抄』によると銚子港近辺は「下総国海上郡 三前郷」と記されている[10]。「銚子」という名が使われるようになったのは江戸時代(1700年頃)以降であり、それ以前は、「飯沼」あるいは「三前」と呼ばれていた。また、粟島台遺跡と同様の地域を「下総国海上郡 船木郷」(船木部が置かれ造船用材を扱った地)としている[11]。平忠常の子孫である千葉氏の支族である東氏(庶家、千葉六党)及び海上氏(庶家)がこの地を領有するようになり、建久年間(1190年代)千葉常衡が海上与市を名のって船木郷に中島城を築城したといわれている。中島城周辺には、円福寺(飯沼観音)及び川口神社があり、円福寺は神亀5年(728年)に漁夫が海中から引き揚げた十一面観音像を安置したのが始まりといわれ、海上氏の帰依も厚く、門前町が形成されたのが、現在の銚子の都市的起源とされている[12]。また、川口神社は寛和2年(986年)の創建と伝えられており、海の守り神として白神明神とも呼ばれ、銚子大漁節では「この浦守る川口の明神御利益あらわせる[13]」と歌われているように、古くから漁師の信仰をあつめていることからも、古くから漁業が盛んな地であった。
近世
利根川東遷と水運の発展
「下総銚子の濱外浦」歌川広重画『六十余州名所図会』より
銚子河口付近は水深が浅く、潮の流れが急であったため、阿波の鳴門(鳴門海峡)、伊良湖渡合(伊良湖岬)と並ぶ海の三大難所と言われていた[14]。そのため、海難事故が古来より多発している。このため、江戸時代以前は内海で漁獲をすることがほとんどであった。
江戸時代初期に入ると徳川家康江戸入府の1590年(天正18年)後、徳川氏によって行われた利根川中下流の付け替えにかかわる一連の河川改修として利根川東遷事業が行われた。1621年(元和7年)の新川通開削および赤堀川の開削開始から、1654年(承応3年)の赤堀川通水まで工事が行われ、これにより、利根川の水は太平洋への分水嶺を越えて常陸川へ十分な水量が流され、太平洋へ注ぐ銚子河口まで繋がる安定した江戸の水運が成立し、 銚子河口(常陸川最下流)に位置していた銚子は活気づくことになった。
利根川東遷事業による江戸への水運の確保により、近畿地方(令制国上の畿内、特に紀伊国・和泉国・摂津国など)から漁民が大量に出漁してきた。以後、鰯漁が大漁であったことから、銚子にも定住する人々が増えるようになる。房総沖(太平洋)は近代に至るまで鰯の漁獲地として知られ、かつ背後に広大な農地を持つ穀倉地帯である関東平野・九十九里平野がひかえ豊富な資金力と必要時のみ動員できる労働力などの社会的条件を求め、紀州などの漁民が旅網や移住などの形で房総半島や九十九里浜沿岸に進出してきた。鰯などの近海魚を江戸に供給するとともに長く干鰯の産地として知られるようになる[15]。
この頃、銚子半島の先端南部に位置する外川漁港も、江戸時代前期の漁師である紀州藩の崎山次郎右衛門によって、1658年(万治元年)と1661年(寛文元年)の2期にわたり、外川浦に完成する[16]。屋号は大納屋[16]。次郎右衛門は故郷から多くの漁師を呼び寄せ、漁業と海運を営み、当時の盛況ぶりは「外川千軒大繁昌」と語り継がれている[17]。
東廻り航路と醸造業
江戸時代中期になると、石高制と参勤交代制により、幕府城米、諸藩蔵米などの海上輸送が展開する。さらに諸商品の海外輸送も盛んとなり、城下町・港町・三都(大阪・京・江戸) を結ぶ海運のネットワークが整っていった。 そこで1670年(寛文10年)に、幕府は江戸商人河村瑞賢に東廻り航路の整備を命じる。「銚子内海江戸廻り」と呼ばれ、東北の石巻や荒浜などの積出港からいったん外海に出て、鹿島灘沖から銚子河口付近に入り、そこから利根川をさかのぼって江戸に入る航路が利用される。時間も距離も短縮できるが、波の荒い鹿島灘を横切り、暗礁を避けて銚子に入港するという、危険性の高いものであったため、「外海江戸廻り」という、東北の積出港から銚子沖を通り、房総半島をまわる。そして伊豆の下田に入り、そこから再び江戸に入る航路も利用されるようになる[18]。この頃、江戸では醤油製造が伸びて行き、富農や名主層、近江商人、紀州の出身者などによって関東各地で作り始められたが、次第に独自の濃口醤油へと発展し、江戸への出荷を伸ばしていく。醸造家は関西からの下り醤油に対抗するため造醤油仲間を結成し、江戸の問屋との交渉や、原料の塩の購入などを共同で行いながら、品質の向上を図る。そして文化・文政期に江戸前の調理が発達すると、関東の好みは濃口醤油へと急速に傾き、関東の醤油が江戸市場を押さえることになる。その製造の中心が、銚子と野田(野田市)であり、利根川や江戸川に接し、物資の輸送に便利であったからである。ヤマサ醤油・ヒゲタ醤油などは、日本を代表する醤油メーカーとしての礎を築き、その後の銚子の繁栄につながったとしている[。
川舟と運輸
1690年(元禄3年)に幕府は城米を津出しする河岸を定めたため、選ばれた河岸は銚子漁港を含めて商品流通の要となっていった。周辺農村の年貢米や特産品を河岸から江戸に向け出荷し、帰りも商品荷物を運ぶことによって、河岸は急速に人や荷物が行きかう場所へと発展していった[。利根川はじめ川という水系インフラの充実により、北総地域一帯が栄えることとなったのである。その代表でもある佐原や小見川(香取市)は利根川水運の発達により、年貢米の津出し場や周辺地域の物資の集散地として栄え、醸造業などの産業も発展した。この時期、佐原は「お江戸みたけりゃ佐原へござれ佐原本町江戸まさり」といわれるほどの賑わいを見せていた。利根川下流で主に使われていた舟は主に高瀬舟であり、最大級のもので、船長約26.96メートル、船幅 5.1メートル 余り、積載量は米 1,200俵(約72トン)であったと言われている
近代
銚子港の繁盛と整備
犬吠埼灯台
交通の要所、魚介類の水揚げ場、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港し、明治時代に入ると銚子漁港はますます漁業の港として栄えることになる。明治初年頃の銚子(飯沼)は、千葉県で一番人口の多い都市であった[22]。また、利根川を蒸気船が就航することになり、銚子~東京間を結ぶようになると、東京及び周辺地域から避暑や海水浴で大勢の人が訪れた[23]。
犬吠埼付近に岩礁、暗礁が多く、海流が複雑で、1868年(慶応4年)には、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、黒生(くろはい)沖の岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員が死亡するという事故も起きていた。このような状況の中、銚子港の改修と洋式灯台の設置が求められ、明治初期に江戸条約によって建設された8基、及び大坂条約によって建設された5基の洋式灯台に続く重要な灯台として建設が決まり、1872年(明治5年)に着工。1874年(明治7年)には犬吠埼灯台が完成する。1886年(明治19年)には銚子地方気象台、1908年(明治41年)には銚子無線電信局が建設されている。その後、1897年(明治30年)には国鉄総武本線が銚子駅まで開通、利根川沿いの国鉄成田線は1898年(明治31年)には佐原駅まで開通し、のちに松岸駅まで開通したことで総武本線と接続した。両方の鉄道が銚子まで延伸したことで旅客や貨物輸送は増加し、銚子への観光客はさらに増えて観光産業が盛んになった。 また、江戸時代後期以降の銚子港は漁港として賑わい、東回り海運が衰退する明治期以降も、ますますその需要を伸ばした。
ところが、港湾の形状は依然として整備されず、船舶を迅速に運転できるよう近代化する必要に迫られていた。第一次整備計画が完成したのは1925年(大正14年)のことであった。1932年(昭和7年)に第一卸売市場(中央市場)が完成する。
現代
日本屈指の漁港町「銚子」へ
銚子漁港第1卸売場(中央市場)
第二次世界大戦末期に、銚子周辺は東京を空襲するB-29の侵入ルートとなり被害を受けた。この空襲により、戦前の港町らしい町並みや隆盛を誇っていた江戸時代からの建造物の多くを失った。第一次整備計画からその後、工事は第九次整備計画(平成6~13年度)まで続けられ、今日のかたちになっている。外洋から銚子外港へ入り、運河で第一卸売市場まで入ることができ、大きな海難事故もなくなっている[7]。1951年(昭和26年)7月10日 には全国で初めて特定第3種漁港に指定され、銚子漁港は水産業の振興のためには特に重要な位置づけとなった。地元漁船はもとより、北は北海道から、南は沖縄にいたる沖合漁船の一大根拠地として発展している。
また、観光都市としても成長した銚子市は漁港区域内に銚子ポートタワー及びウォッセ21(水産物卸売センター)を整備。漁港のシンボルであると同時に犬吠埼灯台と併せて銚子の観光の拠点となっている。
マダイ、カツオ、マグロ類、マイワシ、サンマ、サバ、メカジキ、ブリ、アジ、ヒラメなど、魚種も豊富であり、これら魚介類を取扱う魚市場・卸売場も銚子漁港整備に呼応し、第1・第2・第3卸売場と受入施設の整備拡充が図られ、全国有数の漁業根拠地として更なる発展が期待されている[24]。
沿革
1944年(昭和19年)10月1日 - 新生駅からの引き込み線が開通する。
1945年(昭和20年)10月15日 - この日から7ヶ月にわたり、旧日本軍の兵器・弾薬処理作業に漁港が使用される。
1951年(昭和26年)7月10日 - 特定第3種漁港に指定される。
2011年(平成23年)3月11日 - 東日本大震災にて被災。死者・行方不明者こそなかったが、漁船・漁港施設や水産加工施設、銚子マリーナなどを中心に約65億円の被害を受ける。
漁港施設
市場
市場面積
魚市場用地の面積 40,243平方メートル
第1卸売場 21,678平方メートル
第2卸売場 6,165平方メートル
第3卸売場 12,400平方メートル
市場詳細
第1卸売場(中央市場)
鉄骨、鉄筋コンクリート2階建
飯沼町186番地の61 新生町一丁目36番地の2
建面積4,296平方メートル
第2卸売場
鉄筋コンクリート一部鉄骨1階建
川口町一丁目6278番地
建面積 801平方メートル
第3卸売場
(No.1)
鉄筋コンクリート一部鉄骨2階建
川口町二丁目6528番地
建面積 3,164平方メートル
(No.2)
鉄筋コンクリート一部鉄骨4階建
川口町二丁目6528番地
建面積 6,213平方メートル
トラックスケール
第1スケール 秤量50トン(第2卸売場)
第2スケール 秤量50トン(第2卸売場)
第3スケール 秤量60トン(第3卸売場先)
簡易荷捌場
鉄筋コンクリート部鉄骨1階建
新地町1468番地の20
建面積 1,809平方メートル
貸事務所
第1卸売場・中央市場2階21室(30〜60平方メートル)
専用線
新生駅から漁港内に引き込まれた専用線は、銚子漁港で水揚げされた魚介類を東京へ運搬するために、戦時中に建設されたものであった。魚介類を貨車に積載し、両国駅まで貨物列車で輸送していた。後に専用線はトラック輸送への転換が進み廃止となった。中央市場前まで延びていた構内の線路の跡地は駐車場として使用されている[25]。
主な魚種
プライドフィッシュ
国漁業協同組合連合会(全漁連)が中心となり、漁業協同組合連合会(漁連)・漁業協同組合(漁協)が選定した、漁師が自信をもって推奨する魚介類として「銚子つりきんめ」「銚子の入梅いわし」がプライドフィッシュとして選定されている。
銚子つりきんめ「銚金」(キンメダイ)
銚子市漁業協同組合認定
千葉県水産ブランド認定
銚子推奨認定品ちょうしブランド(干物)
認定対象期間(旬):周年
大きさ等:500グラム以上
全国的にキンメダイ漁の北限といわれる漁場で、銚子市外川地区の小型船約40隻が立縄漁業(釣りの一種)により漁獲。鮮やかな色と傷のないきれいな魚体を保つため、釣り上げた直後から、一尾ずつ丁寧に取り扱い、常に高い品質のものを提供するよう努力・研究を重ねている。毎年7月に開催される「きんめだいまつり」は約4万人程の来場者で賑い「銚子つりきんめ」の知名度アップに大きく貢献している]。
銚子の入梅いわし
銚子市漁業協同組合認定
認定対象期間(旬):6月から7月(入梅)
イワシの主要な水揚港である銚子港は日本一の水揚港としても知られ、特に6~7月にかけての「入梅」(梅雨の時期)に水揚げされるマイワシは「入梅いわし」と呼ばれている。毎年この時期に鮮度抜群のいわしが食べられる「入梅いわし祭り」が行われている[。
その他魚種
イワシ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国1位
サバ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国1位
サメ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国3位
アジ類 - 2002年(平成14年)度陸揚量全国4位
サンマ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国4位
メヌケ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国5位
マグロ - 2002年(平成14年)度陸揚量全国6位
主な漁業
まき網漁業
敷網漁業(サンマ)
はえなわ
港勢
管理者 - 千葉県
漁業協同組合 - 銚子市
組合員数 - 205名(2001年(平成13年)12月)
漁港番号 - 1930010
水揚量 - 214,500トン(2013年)【全国1位】[30]
交通
公共交通機関
鉄道
銚子電鉄「観音駅」より、徒歩約15分
路線バス
川口線
銚子駅 - 陣屋町 - 銚子観音 - 川口 - ポートセンター(京成タクシー成田)
岬めぐりシャトルバス
銚子駅 - 第一魚市場 - 川口神社 - ポートタワーウォッセ - 黒生 - 海鹿島 - 君ヶ浜海岸 - 犬吠埼灯台入口 - 銚子電鉄犬吠駅 - 地球展望館(千葉交タクシー)
自動車
高速道路
銚子連絡道路「松尾横芝インターチェンジ」より、国道126号・千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)先
一般道路
千葉県道254号銚子公園線
千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)
駐車場
駐車場(無料)
施設名 銚子漁港第一卸売市場市営駐車場
住所 銚子市竹町地先
利用可能台数 普通車:32台 身障者用:2台 大型バス:5台 その他(バイク、自転車用駐輪スペース)
【銚子市の概要】
銚子市(ちょうしし、英:Choshi City)は、関東地方最東端、千葉県北東部の海匝地域にある全国屈指の漁港町、及び観光都市である。
古くは東北からの東廻海運の港ととして栄え、日本一の水揚げ量を誇る銚子漁港(特定第3種漁港)を始め、「最上醤油」の銘柄を持つ醤油醸造を中心に、味噌、味醂、水産業、流通業等が盛んで、江戸に運ぶ利根海運の交易都市として発展。市全域で銚子ジオパークをなし、景勝地が豊富な海岸線は水郷筑波国定公園に指定され、数多くの文豪も訪れる文豪の地として親しまれてきた観光都市となっている。
地理
東京都心から100km圏内、関東平野の最東端に位置し、市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。北は利根川、東と南は太平洋に面する。江戸時代に利根川水運が開発され、醤油醸造業と漁業で発展。農業は露地野菜を中心に発展した観光都市。
利根川河口と銚子市街地
銚子市は、利根川沿いの低地と北総台地からなり、表層は関東ローム層に覆われている。愛宕山(標高73.6m)は北総台地最高峰。水田は台地山間の谷津田と利根川沿いに広がっており、畑地帯は台地の平坦部に位置し、比較的農業に適している。
市域
広袤(こうぼう):東西16.2km、南北12.8km
自然
川:利根川(利根川が太平洋に注ぐ河口である)
気候
周囲が海に囲まれているため海洋性気候となっている。すなわち、湿度は高めであり、気温は年間平均気温が約15℃で夏涼しく冬暖かいといわれる。
夏場は、関東平野部の都市では珍しく日中でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったにない。熱帯夜になることもあまり無く、関東屈指の避暑地と言える。一方、冬場は南九州並みに温暖で気温が氷点下になることはほとんどなく、雪が降ることは非常に珍しい。
またトマト、メロン、スイカ、イチゴなど海洋性気候に適した野菜や果物が栽培されている。
また、年間を通して比較的風が強く、風力発電所の風車が34基稼働している。
隣接する自治体
千葉県
旭市
香取郡東庄町
茨城県
神栖市
歴史
地名の由来
入り口が狭く中に入るとより広い空間が広がる「銚子口」と呼ばれた地形。
2012年撮影の18枚を合成作成。
元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚」は、小さな注ぎ口を持つ酒器で、もともとは生薬を煎じるのに使われた土瓶ややかんの類入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年(明治22年)4月1日「市制町村制」が施行されてからである。
銚子漁港
銚子醤油初代社長・浜口吉兵衛
現在、銚子漁港は日本随一の水揚量を誇る漁港となっているが、かつては日本の三大海難所の一つに数えられた所であった。利根川の河口付近に千人塚(銚子市川口町2丁目)が築かれており、銚子近辺で起きた海難事故の犠牲者が祀られている。「千人塚」という名前の由来は、「1616年(慶長19年)10月25日銚子沖に吹いた突風によって、千人以上が亡くなったため」とも、「祀られる犠牲者が増え続けた結果、いつしか千人塚と呼ばれるようになった」とも伝わる。昔の利根川河口付近は川幅が狭く、川底には大きな岩があり水深が浅く、干潮時と満潮時の潮の流れは急で、一年中風が強く吹き波が荒い場所であった。1910年(明治43年)3月12日には、漁船80隻、漁民千人以上が遭難した。当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」などと諷されていた。
何度も遭難が繰り返される中、銚子の町人や漁民らの間から河口を広げ水深を深くし、安心安全な漁港を造って欲しいという要望が上がり、銚子醤油株式会社(現:ヒゲタ醤油)社長の濱口吉兵衛を千葉県水産株式会社取締役社長に抜擢し、安全な港に修築できるように、県や国に訴えて貰うことにする。以後、県や国が調査し、川底の爆破をし水深を深くすることを試みるものの、かえって流れが急になり、やむなく中止。また、救助砲(救助ロープを打ち出す砲台)を設置したものの、いざ使用してみると、船まで届かず全く意味を成さなかった。
以後、吉兵衛は悩み、漁民を危険な状況から救うため、また、国へこの実情を訴えるために国会議員になる決意をする。その後、国会議員となった吉兵衛は、千葉県議会議員であった小野田周斎と共に銚子漁港改修に全力を注ぎ、銚子港修築案がついに国会を通過、国からの援助を得ることが決まった。1925年(大正14年)12月修築工事が始められ、1932年(昭和7年)11月竣工した。
1937年(昭和12年)に吉兵衛の功績を讃え、新生河岸公園に銅像が建立されたが、1943年(昭和18年)の戦時中に金属類回収令で軍事供出された。その後、1955年(昭和30年)に吉兵衛の銅像は再建された。
地域
人口
銚子市はかつて、千葉市に次いで県内2番目に市政施行するなど、港町として活況を誇っていたが、現在、人口減少率は県内3位となっており、近年の少子高齢化を反映している。かつては、東総地域の中心的都市としての役割を担っていたが、現在、近隣の旭市や茨城県神栖市などに雇用口や商圏などが移り、市内の活気は薄れ、観光や水産業などの面でも頭打ちの状態が続いている。近年では福祉などにおけるサービス格差が神栖市と離れており、財政難(千葉科学大学への77億5千万円もの補助金や銚子市立高校建設費62億7400万円などが重くのしかかっている)から、利根川対岸にある神栖市並みか神栖市以上のサービス向上を図れず、半島特有の後背地の少なさ、交通の便の悪さなども起因して今後も人口減少が進むと見られている。県の試算では、2000年から2030年までの間の人口減少率は -29,490人の -37.5%となり、県内1位の減少率となることが推測されている。ただし、2015年度の財政力指数が0.58であり現時点では過疎地域には指定されていない。利根川を挟んで対岸の茨城県神栖市への通勤率は10.7%(平成22年国勢調査)。
人口構成
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.25%減の64,415人であり、増減率は県下54市町村中50位、60行政区域中56位で、千葉県の市の中では最も減少率が高い。
健康と福祉
市の中核病院であった銚子市立総合病院が、市の財政難を主な理由に2008年(平成20年)9月30日をもって休止していたが2010年(平成22年)5月6日に再開した
産業
商業
外房では茂原市に次ぐ第2の商業都市である。
漁業
銚子漁港
年間水揚数量全国第1位(2009年、22万3739トン)
年間水揚金額全国第6位(2009年、233億7089万円)
外川漁港
工業
丘陵地帯のキャベツ畑と風力発電所
醤油の生産地として名高い(ヤマサ醤油、ヒゲタ醤油)。このほか、銚子漁港や犬吠埼などの観光も重要な産業である。また、醤油の原材料の大豆の輸入関係は鹿島港で行われ、生産過程で出てくる大豆絞りかすは鹿島臨海工業の波崎地区の飼料工場の原材料になっている。琥珀の産地である。
日本風力開発の関連会社により、市内には多数の風力発電が稼働している。その大半は、屏風ヶ浦を中心とした高台に位置する。
銚子屏風ヶ浦風力開発
銚子屏風ヶ浦風力発電所 1,500kW機(1基)
銚子小浜風力発電所 1,500kW機(1基)
銚子風力開発
銚子風力発電所 1,500kW機(9基)
八木風力発電所 1,500kW機(6基)
その他の風力発電所は以下の通り。
エムウインズ
銚子しおさい風力発電所 1,500kW機(2基)
堀江商店
銚子新町風力発電所 1,980kW機(1基)
くろしお風力発電
銚子高田町風力発電所 1,990kW機(1基)
椎柴風力発電所 1,990kW機(5基)
台町自然環境エネルギー研究所
台町風力発電事業 640kW機(1基)
銚子ウィンドファーム
銚子ウィンドファーム 1,500kW機(7基)
姉妹・提携都市
海外
アメリカ合衆国の旗 クースベイ市(Coos Bay, Oregon, アメリカ合衆国オレゴン州)
1983年(昭和58年)2月10日 銚子市制施行50周年記念式典の席上、クース・ベイ市代表者の出席を得て、姉妹都市協定締結の調印式を行った。1983年10月、銚子市長が港湾施設等視察のため渡米した際、クース・ベイ市への訪問が契機となり、国際親善の気運が高まったのがきっかけとなった。
フィリピンの旗 レガスピー市(Legazpi City, フィリピン共和国アルバイ州)
1985年(昭和60年)6月27日 レガスピー市議会が銚子市との姉妹都市提携を決議し、レガスピー市長から姉妹都市協定締結の申し入れがあったため、銚子市議会に提案。同市議会の議決を得て提携が成立した。両市の人口規模、産業形態が類似していることや、世界の平和を祈念するため1958年に銚子市に建立された。「日比友愛の碑」の斜塔がレガスピー市のマヨン山を指していることなど銚子市とフィリピンとの関係も深い。
教育
学校
幼稚園
銚子市立海上幼稚園
銚子市立春日幼稚園
銚子市立椎柴幼稚園
銚子市立清水幼稚園
銚子市立豊里幼稚園
銚子市立本城幼稚園
銚子市立船木幼稚園
私立飯沼幼稚園
私立銚子幼稚園
小学校
銚子市立飯沼小学校
銚子市立海上小学校
銚子市立春日小学校
銚子市立椎柴小学校
銚子市立清水小学校
銚子市立高神小学校
銚子市立豊岡小学校
銚子市立豊里小学校
銚子市立双葉小学校
銚子市立船木小学校
銚子市立本城小学校
銚子市立明神小学校
中学校
銚子市立第一中学校
銚子市立第二中学校
銚子市立第三中学校
銚子市立銚子中学校
銚子市立西中学校 - 2021年4月に以下の中学校が統合し開校予定
銚子市立第五中学校
銚子市立第六中学校
銚子市立第七中学校
高等学校
千葉県立銚子高等学校
千葉県立銚子商業高等学校
銚子市立銚子高等学校
特別支援学校
千葉県立銚子特別支援学校
大学
千葉科学大学
交通
鉄道
東日本旅客鉄道
■総武本線
猿田駅 - 松岸駅 - 銚子駅
■成田線
下総豊里駅 - 椎柴駅 - 松岸駅
銚子電気鉄道
■銚子電気鉄道線(全線市内)
銚子駅 - 仲ノ町駅 - 観音駅 - 本銚子駅 - 笠上黒生駅 - 西海鹿島駅 - 海鹿島駅 - 君ヶ浜駅 - 犬吠駅 - 外川駅
路線バス
高速バス
大阪 - 銚子線は夜行、その他は昼行
利根ライナー(佐原ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原駅北口・豊里・高速松岸・銚子駅 (千葉交通)
利根ライナー(小見川ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原香取・豊里・高速松岸・銚子駅・陣屋町 (千葉交通)
犬吠号(旭ルート):浜松町BT・東京駅 - 旭中央病院東 - 高速八木・イオン銚子・銚子駅・陣屋町・犬吠埼・犬吠埼太陽の里 (千葉交通、京成バス)
銚子?千葉・幕張線: 免許センター・海浜幕張駅・千葉中央駅・千葉駅 - 高速八木・陣屋町 (千葉交通) ※平日1往復
一般路線バス
千葉交通
千葉交タクシー
関東鉄道
道路
市内の銚子大橋前交差点は、国道124号( - 鹿嶋市 - 終点・水戸市)、国道126号( - 東金市 - 終点・千葉市)、国道356号( - 終点・我孫子市)が集まる3国道の起点となっている。
一般国道
国道124号
国道126号
国道356号(利根水郷ライン)
有料道路
銚子新大橋有料道路(利根かもめ大橋有料道路)
主要地方道
千葉県道37号銚子停車場線
千葉県道71号銚子旭線
千葉県道73号銚子海上線
千葉県道74号多古笹本線
一般県道
千葉県道198号銚子波崎線
千葉県道211号飯岡猿田停車場線
千葉県道216号飯岡松岸停車場線
千葉県道244号外川港線
千葉県道254号銚子公園線
千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)
自転車道
千葉県道404号銚子小見川佐原自転車道線
港湾
名洗港
著名な出身者
石毛えい子(社会福祉学者、民主党衆議院議員)
石毛博史(プロ野球選手)
上野愛(漫画家)
内田良平(俳優)
内海桂子(漫才師)
江畑謙介(軍事評論家)
大崎瑠衣(元 銚子元気娘。 現 Chu☆Oh!Dolly)
大ノ濵勝治(力士)
岡田英次(俳優)
岡田幸三郎(実業家、作家遠藤周作夫人・遠藤順子の父)
金子周次(版画家)
カノン(ベーシスト、アンティック-珈琲店-)
嘉納毅六(醸造家・菊正宗)ヤマサ濱口家六男。
川名登(水運史研究者、郷土史家)
木樽正明(プロ野球選手)
菊地秀行(作家)
菊地成孔(ジャズ・ミュージシャン)
清谷信一(軍事評論家)
国木田独歩(作家)
弦哲也(作曲家)
越川芳明(英文学者・映画評論家)
榊原翼(プロ野球選手)
坂口三千代(随筆家)
篠塚和典(プロ野球選手・コーチ)
鈴木優磨 (サッカー選手)
千田川吉藏 (2代)(大相撲力士)
高倉みゆき(女優)
高階良子(漫画家)
髙見山酉之助(大相撲力士)
瀧本雄太(サッカー選手)
田中清隆(競馬騎手・調教師)
田中玄蕃(ヒゲタ醤油・創業元和2年)
千葉一夫(歌手)
銚子灘伝右エ門(力士)
富田茂之(弁護士、公明党衆議院議員)
夏木ゆたか(タレント)
名雪佳代(女優・タレント・モデル)
濱口吉右衛門(醸造家・ヒゲタ醤油当主)
濱口儀兵衛(醸造家・ヤマサ醤油当主)
浜口陽三(版画家)ヤマサ濱口家三男。
藤ヶ崎矢子(女子プロレスラー)
松井簡治(国語学者)
宮内洋(俳優)
宮内龍汰(元サッカー選手)
本谷育美(テレビ静岡アナウンサー)
柳家三之助(落語家)
Yumiyo(作詞家)
和歌森太郎(歴史・民俗学者)
渡辺學(日本画家)
【[旅気分]]海界の村を歩く 日本海 壱岐島(長崎県)・勝本浦 】
この動画は壱岐市勝本町の勝本浦地区(故郷・漁師町)だけの動画です。
勝本浦表通りに特化した動画です。
正直、私自身驚きました。私の実家も写ってます。
【辰の島遊覧&渡船】
「日本の海水浴場百選」の辰ノ島。壱岐随一の透明な砂浜の渚、奇岩・断崖絶壁を海から見上げる島巡り遊覧が一押し。
令和3年8月、勝本漁協観光案内所「ヒヨリミテラス」リニューアルオープン。
イカバーガーをはじめ、勝本町漁業協同組合漁師自慢のイカ料理を提供しています。遊覧船利用の前後に、ぜひお立ち寄りください。