犬吠埼灯台と犬吠テラステラス、そして銚子ビール
2021007
来るたびに自分の中で銚子を見る目が変わっているのを感じる。
最初、「派手だなぁ」と。「͡コト起こし」なる言葉を聞いて「町おこし」みたいなものだろうと解釈している。
ある若い方が仰った。「銚子は派手なイメージが先行していますが、静かにのんびりされる方が来られる方が多いんですよ」と。
今はわかる。
3年前、痩身の60代と思われる女性が岩場で道を尋ねられ「ご旅行ですか?」と聞くと「主人と若い時に来てね。ちょっと行ってみようかしら」と思って。
素敵な話だよね。
ご主人はお亡くなりになられたのだろう。
東京の方だと一目でわかる女性だった。
チョウシビール、なんだか苦戦してるのかな?銚子初?の女性家と取り沙汰されたみたい。
話すとちょっと東京人。
僕ならもう少し売り上げを伸ばす自信はある。
地ビールは高い。冷蔵庫を開けてクラフトビールが並んでる家庭はほぼないだろう。とすると贈答品。通販、訪問時の記念として。
明らかに変わりだした銚子
重くのしかかる財政難、人口減少。5年前来た時は67,000人、今年57,000人
財政難解決は解決なんだけどね。役所の職員半分or5分の3にすれば健全財政なんだけどね。
公務員ってクビにできないんだよね。
基本情報
犬吠埼(君ヶ浜しおさい公園)
所在地:〒288-0012 千葉県銚子市犬吠埼0576
犬吠埼(いぬぼうさき、英:Inubosaki)は、関東平野最東端に位置する千葉県銚子市の太平洋に突出する岬。水郷筑波国定公園に含まれる景勝地。岬には犬吠埼灯台が屹立する。岬一帯の町名にも犬吠埼が使用されている。郵便番号は288-0012。
本項では、犬吠埼を名称に冠した周辺施設についても解説する。
概要
岬の航空写真(国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成)
日本三大河川の一つである利根川(一級河川)の河口付近にあり、付近一帯は水郷筑波国定公園に含まれる銚子半島の景勝地である。風光明媚な海岸線はかつて数々の文人、墨客が訪れ、文豪の地として親しまれた。海岸線沿いは歌碑、詩碑が立つ。日本一早い初日の出スポットとして有名である。岬周辺の白亜紀の地層は国の天然記念物に指定され、日本の地質百選にも選定されている。沿岸には遊歩道が設けられており、北側には古くから「関東舞子」と呼び親しまれ、日本の渚百選にも選ばれた君ヶ浜(君ヶ浜しおさい公園)があり、国土地理院では君ヶ浜(東経140度52分21秒)を関東および千葉県の最東端としている。
犬吠埼の岬には犬吠埼灯台が太平洋に向かって立つ。日本を代表する灯台の一つで、「世界灯台100選」「日本の灯台50選」にも選ばれている。歴史的文化財的価値が高く、国の登録有形文化財に登録され、海上保安庁によりともなっている。2020年度には国の重要文化財に指定された。灯台の出入口横に灯台の色に合わせた白く塗られた郵便ポスト・丸型1号ポスト(郵便差出箱1号)が設置されている。
自然
白亜紀浅海堆積物(国の天然記念物)
太平洋に突出した銚子半島には、中生代(白亜紀)から現代までの様々な地層が姿を見せている。海岸の植物や磯の動植物なども種類は豊かで、分布上も注目されるものが多い。
海洋動物
ウミウ、ウミネコなどの海鳥類が多く渡来する。かつて一帯にはアシカ(ニホンアシカ)が繁殖しており、明治時代には200 - 300頭のアシカが生息していたと伝えられる。
崖地植物}
自生する崖地植物(岬先端)
犬吠埼や海鹿島、犬若など古い地層の崖地や岩場では、スカシユリ(ユリ科)やハマヒルガオ(ヒルガオ科)など海岸沿いにしか生息しない特有な崖地植物が集っている日本有数の海岸である[8]。絶滅危惧Ⅱ類 (VU) であるハマサワヒヨドリなど非常に希少価値の高い植物も生息する[9]。犬吠埼灯台下遊歩道、犬吠埼園地周辺に多く生息する。犬吠埼灯台下遊歩道には崖地植物についての生態展示(名札板設置)がされている。
白亜紀浅海堆積物
銚子半島の東海岸の黒生から長崎鼻にかけて、1億3000万年前から1億年前の恐竜時代の地層を見ることができる。犬吠埼は1億2000万年前の地層であり、海底痕跡を数多くみることができる学術的に貴重な地層となっている。そのため「犬吠埼の白亜紀浅海堆積物」として2002年に国の天然記念物に指定された。また2007年には「日本の地質百選」にも選定されている。一部は遊歩道上から間近に観察することが可能。砂岩泥岩互層の地層が見られる。
文学
風光明媚な海岸線はかつて数々の文人墨客が訪れ、景勝地は「文豪の地」として親しまれた。
日本の俳人、詩人、小説家として有名である、高浜虚子、佐藤春夫、尾張穂草など、海岸沿いには数多くの歌碑、詩碑が立つ。
代表作
「犬吠の 今宵の朧 待つとせん」
—高浜虚子
「ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ草花をつむ みづからの影踏むわれは 仰がねば 燈台の高さを 知らず 波のうねうね ふる里のそれには如かず ただ思ふ 荒磯に生ひて 松のいろ 錆びて 黝きを わが心 錆びて黝きを」
—佐藤春夫
「わかれても 故郷の海の あゐいろが 目にあり秋よ さびしくあるかな」
—尾張穂草
地名の由来
犬吠埼という地名には諸説があるが、中でもよく知られるものが源義経の愛犬「若丸」が岬に置き去りにされ、主人を慕う余り、7日7晩鳴き続けたことから犬吠(犬が吠く)と名付けられたという説である。他にはかつて一帯にはアシカ(ニホンアシカ)が繁殖しており(近隣には海鹿島があり、明治時代には200 - 300頭のアシカが生息していたと伝えられる)、その鳴き声が犬に似ていたことから、犬吠埼と名付けられたという説もある。他に、アイヌ語のエンボウ(突出した岬)が変化したものとの説もある。
岬と埼
埼という字が最後に付く岬は珍しい。この土偏の「埼」という字は、草木が生えない荒れ地が突出している地形を表している。古くから海軍が海図に掲載した地名に「埼」が使われていたということの、なごりという説もある。一方、岬、崎は山がそのまま海に迫り上がった地形を指し、石偏の碕は、石がゴロゴロとしている海岸が突き出た地形を表す、といわれている。他に土偏の埼が用いられる岬では和歌山県の日ノ御埼などがあり、山偏の岬に静岡県の石廊崎や城之崎がある。また石偏の碕が付く岬は島根県の日御碕が著名である。
日本一早い初日の出
犬吠埼からの日の出
川瀬巴水『犬吠の朝』(1931年・昭和6年)
富士山のような高地や離島を除く日本国内で、元旦の初日の出が一番早く(午前6時46分)拝める場所として知られている。その為、各テレビ局での元旦早朝の初日の出中継では、犬吠埼から生中継を行うことも多い。
初日の出時刻
国立天文台が「国内の初日の出時刻のランキング」を公開している。高地や離島を除く日本国内中、北海道・本州・四国・九州の平地で一番早いとなっている。
犬吠埼灯台
犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)は、千葉県銚子市の犬吠埼に立つ第1等灯台。水郷筑波国定公園内に位置する。世界灯台100選、日本の灯台50選に選定され、Aランク保存灯台。2010年に国の登録有形文化財に登録され、2020年に国の重要文化財に指定された。
概要
君ヶ浜より望む犬吠埼と灯台
犬吠埼灯台の遠景(夜景)110万 - 200万カンデラの光を放つ
日本を代表する灯台の一つで、歴史的文化財的価値が高く、国の重要文化財に指定され、海上保安庁により「Aランク保存灯台」ともなっており、世界灯台100選、日本の灯台50選にも選ばれている。日本に5つしかない最大の第1等レンズ(1等4面フレネル式閃光レンズ)を使用した第1等灯台である。電球は400ワットのメタルハライド電球を使用し、110万カンデラの光を放つ。灯塔高 (地上から塔頂までの高さ)31.3メートルで、煉瓦製の建造物としては尻屋埼灯台に次ぐ、日本第2位の高さである。
設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師、リチャード・ヘンリー・ブラントンである。建設当初より白色塔形(円形)の煉瓦造灯台であるが、この煉瓦は内務省の土木技師中沢孝政によって生産が試みられた初の日本製(新治県香取郡高岡村、現在の千葉県成田市高岡)であり、およそ19万3000枚が灯台本体のほか、付属施設にも使用されている。ブラントンは当初、日本製煉瓦の使用に反対したといわれ、その強度に不安を感じたためかそれまでの灯台の構造とは違って二重構造になっているが、140年以上の風雪に破損されることも無く耐え今日に至っている。
灯台の竣工間近、巨大なレンズを見た地元漁師は驚き恐れ「灯台成リ、大洋灯ヲ点ジ海上ヲ照ラスニ至レバ、是ガタメ沿岸ノ魚族ノ棲息ヲ絶チ、漁民ハ特ニ大イナル悲運ニ遭遇スベシ(灯火が明る過ぎて魚が獲れなくなる)」と、灯台建設の即時中止の請願運動を展開したが、灯台初点灯の翌年に鰹が稀にみる豊漁となり、杞憂であるばかりか、「灯台様のお陰」と喜ばれる結果となった。
周辺は水郷筑波国定公園に指定されており、太平洋を臨む景勝地として多くの観光客が訪れている。
歴史
藤島武二筆『犬吠岬の灯台』
犬吠埼を仰ぐ銚子は、太平洋に突出する銚子半島と利根川河口による天然の良港として、古くから交通の要所、魚介類の水揚げ場(銚子漁港)、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港していた。 しかし、犬吠埼付近に岩礁、暗礁が多く、海流が複雑で、鳴門海峡、伊良湖岬沖と共に、海の三大難所として多くの人命が失われた場所でもあった。1868年10月6日(慶応4年8月21日)には、幕府の軍艦「美賀保丸」が暴風雨に遭い、黒生(くろはい)沖の岩礁に乗り上げて座礁沈没、乗組員13名が死亡するという事故も起きていた。このような状況の中、銚子漁港の改修と洋式灯台の設置が求められ、明治時代初期に江戸条約によって建設された8基、及び大坂条約によって建設された5基の洋式灯台に続く重要な灯台として建設が決まった。
沿革
1872年10月4日(明治5年9月2日)、着工。
1874年(明治7年)11月15日、竣工し初点灯。
1978年(明治11年)1月1日、気象観測業務開始。
1907年(明治40年)10月1日、船舶通過信取扱い業務開始。
1910年(明治43年)4月1日、霧信号所霧笛舎竣工。霧笛号業務開始。
1923年(大正12年)5月27日、これまでの石油灯から電気灯火に変更。
1929年(昭和4年)3月25日、灯質変更。光力増大。
1932年(昭和7年)12月15日、無線方位信号所業務開始。
1945年(昭和20年)8月10日、7機の米軍戦闘機による攻撃を受け破損。技術員1名殉職。
1951年(昭和26年)3月31日、戦災復旧工事完了。初点灯より使用していた初代レンズ(仏製1等八面閃光レンズ)退役。
1953年(昭和28年)8月1日、航路標識事務所設置。
1956年(昭和31年)10月15日、光力増大。200万カンデラ。
1962年(昭和37年)9月1日、レマーク・ビーコン業務開始。
1973年(昭和48年)2月12日、灯塔を鉄筋にて補強工事実施完工。
1987年(昭和62年)12月10日、灯塔をPC工法で耐震補強工事実施完工。
2002年(平成14年)3月20日、灯台資料展示館開館。明治村(愛知県)にて保存されていた初代レンズが戻る。
2008年(平成20年)3月31日、犬吠埼霧信号所霧笛舎にての霧笛吹鳴が100年の歴史にピリオドを打ち廃止。最後の霧笛を鳴らすお別れ式典挙行[6]。
2010年(平成22年)4月28日、灯台が国の登録有形文化財に登録(官報告示は同年5月20日)。
2012年(平成24年)12月19日、旧犬吠埼霧信号所霧笛舎が国の登録有形文化財に登録。
2016年(平成28年)9月30日、灯台放送(船舶気象通報)及び灯台に併設する犬吠埼ディファレンシャルGPS局の気象通報が廃止[7]。
2019年(平成31年)3月1日、ディファレンシャルGPS局を廃止。
2020年(令和2年)12月23日 - 灯台、旧霧笛舎、旧倉庫が国の重要文化財に指定[1][2]。
文化財
重要文化財
犬吠埼灯台 1基2棟[2]
灯台(附 旧レンズ1点、銘板1枚)
旧霧笛舎
旧倉庫
附 囲障 1所
附 旧日時計 1基
付属施設
無線方位信号所(中波標識局、レーマークビーコン)
犬吠埼ディファレンシャルGPS(DGPS)局(2019年3月1日廃止)
船舶気象通報(DGPS局に併設)(2016年9月30日廃止)
白い丸型郵便ポスト
白い丸型郵便ポスト
2012年(平成24年)3月14日に灯台を管理する銚子海上保安部と銚子郵便局が協力し、茨城県神栖市内の集配センターで保管していた1960年製造の丸型ポストを白い犬吠埼灯台に因んで白く塗った白い郵便丸型ポストが設置されている[9]。 ホワイトデーに設置されたため「恋愛が成就するポスト」、「幸せを呼ぶポスト」、「願いが叶うポスト」とも称されている。
旧犬吠埼霧信号所霧笛舎
旧犬吠埼霧信号所霧笛舎は、1910年(明治43年)4月1日に竣工した霧信号所霧笛舎。霧笛号業務を開始し、2008年(平成20年)3月31日、犬吠埼霧信号所霧笛舎にての霧笛吹鳴が100年の歴史にピリオドを打ち廃止され、最後の霧笛を鳴らすお別れ式典が挙行された[6]。
2012年(平成24年)12月19日に国の登録有形文化財に登録、2020年12月23日に灯台とともに国の重要文化財に指定されている。
一般公開
本灯台は一般公開されている参観灯台で、展望台のほか、資料展示館がある。
灯台記念日である11月1日は無料で参観できる[11]。
大人300円、小人無料
展望台
レンズ室横に設置されている展望台まで登ることができる。展望台へ続く螺旋階段の段数は、九十九里浜にちなんで99段となっている。
展望台からは太平洋や沖行く船を一望の下にできる。
犬吠埼灯台資料展示館
犬吠埼灯台資料展示館は、犬吠埼灯台の歴史、機能・役割について展示されている資料館。2002年(平成14年)3月20日に開館。沖ノ島灯台で使われた国産第1号の1等レンズや、霧笛舎、犬吠埼灯台の初代レンズ(フレネル式第1等8面閃光レンズ)、尻屋崎灯台で使われた霧鐘など、貴重な資料が多数展示されている。
アクセス
公共交通機関
鉄道
銚子電鉄 犬吠駅より、徒歩約10分
高速バス
JR東日本 浜松町駅、東京駅発、京成バス(銚子・旭ルート)より、「犬吠埼」下車
自動車
高速道路
銚子連絡道路「松尾横芝IC」より、国道126号・千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)先
一般道路
千葉県道254号銚子公園線
千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)
駐車場
犬吠埼灯台駐車場(無料)
【千葉県銚子市の概要】
銚子市(ちょうしし、英:Choshi City)は、関東地方最東端、千葉県北東部の海匝地域にある全国屈指の漁港町、及び観光都市である。
古くは東北からの東廻海運の港ととして栄え、日本一の水揚げ量を誇る銚子漁港(特定第3種漁港)を始め、「最上醤油」の銘柄を持つ醤油醸造を中心に、味噌、味醂、水産業、流通業等が盛んで、江戸に運ぶ利根海運の交易都市として発展。市全域で銚子ジオパークをなし、景勝地が豊富な海岸線は水郷筑波国定公園に指定され、数多くの文豪も訪れる文豪の地として親しまれてきた観光都市となっている。
地理
東京都心から100km圏内、関東平野の最東端に位置し、市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。北は利根川、東と南は太平洋に面する。江戸時代に利根川水運が開発され、醤油醸造業と漁業で発展。農業は露地野菜を中心に発展した観光都市。
利根川河口と銚子市街地
銚子市は、利根川沿いの低地と北総台地からなり、表層は関東ローム層に覆われている。愛宕山(標高73.6m)は北総台地最高峰。水田は台地山間の谷津田と利根川沿いに広がっており、畑地帯は台地の平坦部に位置し、比較的農業に適している。
市域
広袤(こうぼう):東西16.2km、南北12.8km
自然
川:利根川(利根川が太平洋に注ぐ河口である)
気候
周囲が海に囲まれているため海洋性気候となっている。すなわち、湿度は高めであり、気温は年間平均気温が約15℃で夏涼しく冬暖かいといわれる。
夏場は、関東平野部の都市では珍しく日中でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったにない。熱帯夜になることもあまり無く、関東屈指の避暑地と言える。一方、冬場は南九州並みに温暖で気温が氷点下になることはほとんどなく、雪が降ることは非常に珍しい。
またトマト、メロン、スイカ、イチゴなど海洋性気候に適した野菜や果物が栽培されている。
また、年間を通して比較的風が強く、風力発電所の風車が34基稼働している。
隣接する自治体
千葉県
旭市
香取郡東庄町
茨城県
神栖市
歴史
地名の由来
入り口が狭く中に入るとより広い空間が広がる「銚子口」と呼ばれた地形。
2012年撮影の18枚を合成作成。
元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚」は、小さな注ぎ口を持つ酒器で、もともとは生薬を煎じるのに使われた土瓶ややかんの類入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年(明治22年)4月1日「市制町村制」が施行されてからである。
銚子漁港
銚子醤油初代社長・浜口吉兵衛
現在、銚子漁港は日本随一の水揚量を誇る漁港となっているが、かつては日本の三大海難所の一つに数えられた所であった。利根川の河口付近に千人塚(銚子市川口町2丁目)が築かれており、銚子近辺で起きた海難事故の犠牲者が祀られている。「千人塚」という名前の由来は、「1616年(慶長19年)10月25日銚子沖に吹いた突風によって、千人以上が亡くなったため」とも、「祀られる犠牲者が増え続けた結果、いつしか千人塚と呼ばれるようになった」とも伝わる。昔の利根川河口付近は川幅が狭く、川底には大きな岩があり水深が浅く、干潮時と満潮時の潮の流れは急で、一年中風が強く吹き波が荒い場所であった。1910年(明治43年)3月12日には、漁船80隻、漁民千人以上が遭難した。当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」などと諷されていた。
何度も遭難が繰り返される中、銚子の町人や漁民らの間から河口を広げ水深を深くし、安心安全な漁港を造って欲しいという要望が上がり、銚子醤油株式会社(現:ヒゲタ醤油)社長の濱口吉兵衛を千葉県水産株式会社取締役社長に抜擢し、安全な港に修築できるように、県や国に訴えて貰うことにする。以後、県や国が調査し、川底の爆破をし水深を深くすることを試みるものの、かえって流れが急になり、やむなく中止。また、救助砲(救助ロープを打ち出す砲台)を設置したものの、いざ使用してみると、船まで届かず全く意味を成さなかった。
以後、吉兵衛は悩み、漁民を危険な状況から救うため、また、国へこの実情を訴えるために国会議員になる決意をする。その後、国会議員となった吉兵衛は、千葉県議会議員であった小野田周斎と共に銚子漁港改修に全力を注ぎ、銚子港修築案がついに国会を通過、国からの援助を得ることが決まった。1925年(大正14年)12月修築工事が始められ、1932年(昭和7年)11月竣工した。
1937年(昭和12年)に吉兵衛の功績を讃え、新生河岸公園に銅像が建立されたが、1943年(昭和18年)の戦時中に金属類回収令で軍事供出された。その後、1955年(昭和30年)に吉兵衛の銅像は再建された。
地域
人口
銚子市はかつて、千葉市に次いで県内2番目に市政施行するなど、港町として活況を誇っていたが、現在、人口減少率は県内3位となっており、近年の少子高齢化を反映している。かつては、東総地域の中心的都市としての役割を担っていたが、現在、近隣の旭市や茨城県神栖市などに雇用口や商圏などが移り、市内の活気は薄れ、観光や水産業などの面でも頭打ちの状態が続いている。近年では福祉などにおけるサービス格差が神栖市と離れており、財政難(千葉科学大学への77億5千万円もの補助金や銚子市立高校建設費62億7400万円などが重くのしかかっている)から、利根川対岸にある神栖市並みか神栖市以上のサービス向上を図れず、半島特有の後背地の少なさ、交通の便の悪さなども起因して今後も人口減少が進むと見られている。県の試算では、2000年から2030年までの間の人口減少率は -29,490人の -37.5%となり、県内1位の減少率となることが推測されている。ただし、2015年度の財政力指数が0.58であり現時点では過疎地域には指定されていない。利根川を挟んで対岸の茨城県神栖市への通勤率は10.7%(平成22年国勢調査)。
人口構成
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.25%減の64,415人であり、増減率は県下54市町村中50位、60行政区域中56位で、千葉県の市の中では最も減少率が高い。
健康と福祉
市の中核病院であった銚子市立総合病院が、市の財政難を主な理由に2008年(平成20年)9月30日をもって休止していたが2010年(平成22年)5月6日に再開した
産業
商業
外房では茂原市に次ぐ第2の商業都市である。
漁業
銚子漁港
年間水揚数量全国第1位(2009年、22万3739トン)
年間水揚金額全国第6位(2009年、233億7089万円)
外川漁港
工業
丘陵地帯のキャベツ畑と風力発電所
醤油の生産地として名高い(ヤマサ醤油、ヒゲタ醤油)。このほか、銚子漁港や犬吠埼などの観光も重要な産業である。また、醤油の原材料の大豆の輸入関係は鹿島港で行われ、生産過程で出てくる大豆絞りかすは鹿島臨海工業の波崎地区の飼料工場の原材料になっている。琥珀の産地である。
日本風力開発の関連会社により、市内には多数の風力発電が稼働している。その大半は、屏風ヶ浦を中心とした高台に位置する。
銚子屏風ヶ浦風力開発
銚子屏風ヶ浦風力発電所 1,500kW機(1基)
銚子小浜風力発電所 1,500kW機(1基)
銚子風力開発
銚子風力発電所 1,500kW機(9基)
八木風力発電所 1,500kW機(6基)
その他の風力発電所は以下の通り。
エムウインズ
銚子しおさい風力発電所 1,500kW機(2基)
堀江商店
銚子新町風力発電所 1,980kW機(1基)
くろしお風力発電
銚子高田町風力発電所 1,990kW機(1基)
椎柴風力発電所 1,990kW機(5基)
台町自然環境エネルギー研究所
台町風力発電事業 640kW機(1基)
銚子ウィンドファーム
銚子ウィンドファーム 1,500kW機(7基)
姉妹・提携都市
海外
アメリカ合衆国の旗 クースベイ市(Coos Bay, Oregon, アメリカ合衆国オレゴン州)
1983年(昭和58年)2月10日 銚子市制施行50周年記念式典の席上、クース・ベイ市代表者の出席を得て、姉妹都市協定締結の調印式を行った。1983年10月、銚子市長が港湾施設等視察のため渡米した際、クース・ベイ市への訪問が契機となり、国際親善の気運が高まったのがきっかけとなった。
フィリピンの旗 レガスピー市(Legazpi City, フィリピン共和国アルバイ州)
1985年(昭和60年)6月27日 レガスピー市議会が銚子市との姉妹都市提携を決議し、レガスピー市長から姉妹都市協定締結の申し入れがあったため、銚子市議会に提案。同市議会の議決を得て提携が成立した。両市の人口規模、産業形態が類似していることや、世界の平和を祈念するため1958年に銚子市に建立された。「日比友愛の碑」の斜塔がレガスピー市のマヨン山を指していることなど銚子市とフィリピンとの関係も深い。
教育
学校
幼稚園
銚子市立海上幼稚園
銚子市立春日幼稚園
銚子市立椎柴幼稚園
銚子市立清水幼稚園
銚子市立豊里幼稚園
銚子市立本城幼稚園
銚子市立船木幼稚園
私立飯沼幼稚園
私立銚子幼稚園
小学校
銚子市立飯沼小学校
銚子市立海上小学校
銚子市立春日小学校
銚子市立椎柴小学校
銚子市立清水小学校
銚子市立高神小学校
銚子市立豊岡小学校
銚子市立豊里小学校
銚子市立双葉小学校
銚子市立船木小学校
銚子市立本城小学校
銚子市立明神小学校
中学校
銚子市立第一中学校
銚子市立第二中学校
銚子市立第三中学校
銚子市立銚子中学校
銚子市立西中学校 - 2021年4月に以下の中学校が統合し開校予定
銚子市立第五中学校
銚子市立第六中学校
銚子市立第七中学校
高等学校
千葉県立銚子高等学校
千葉県立銚子商業高等学校
銚子市立銚子高等学校
特別支援学校
千葉県立銚子特別支援学校
大学
千葉科学大学
交通
鉄道
東日本旅客鉄道
■総武本線
猿田駅 - 松岸駅 - 銚子駅
■成田線
下総豊里駅 - 椎柴駅 - 松岸駅
銚子電気鉄道
■銚子電気鉄道線(全線市内)
銚子駅 - 仲ノ町駅 - 観音駅 - 本銚子駅 - 笠上黒生駅 - 西海鹿島駅 - 海鹿島駅 - 君ヶ浜駅 - 犬吠駅 - 外川駅
路線バス
高速バス
大阪 - 銚子線は夜行、その他は昼行
利根ライナー(佐原ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原駅北口・豊里・高速松岸・銚子駅 (千葉交通)
利根ライナー(小見川ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原香取・豊里・高速松岸・銚子駅・陣屋町 (千葉交通)
犬吠号(旭ルート):浜松町BT・東京駅 - 旭中央病院東 - 高速八木・イオン銚子・銚子駅・陣屋町・犬吠埼・犬吠埼太陽の里 (千葉交通、京成バス)
銚子?千葉・幕張線: 免許センター・海浜幕張駅・千葉中央駅・千葉駅 - 高速八木・陣屋町 (千葉交通) ※平日1往復
一般路線バス
千葉交通
千葉交タクシー
関東鉄道
道路
市内の銚子大橋前交差点は、国道124号( - 鹿嶋市 - 終点・水戸市)、国道126号( - 東金市 - 終点・千葉市)、国道356号( - 終点・我孫子市)が集まる3国道の起点となっている。
一般国道
国道124号
国道126号
国道356号(利根水郷ライン)
有料道路
銚子新大橋有料道路(利根かもめ大橋有料道路)
主要地方道
千葉県道37号銚子停車場線
千葉県道71号銚子旭線
千葉県道73号銚子海上線
千葉県道74号多古笹本線
一般県道
千葉県道198号銚子波崎線
千葉県道211号飯岡猿田停車場線
千葉県道216号飯岡松岸停車場線
千葉県道244号外川港線
千葉県道254号銚子公園線
千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)
自転車道
千葉県道404号銚子小見川佐原自転車道線
港湾
名洗港
著名な出身者
石毛えい子(社会福祉学者、民主党衆議院議員)
石毛博史(プロ野球選手)
上野愛(漫画家)
内田良平(俳優)
内海桂子(漫才師)
江畑謙介(軍事評論家)
大崎瑠衣(元 銚子元気娘。 現 Chu☆Oh!Dolly)
大ノ濵勝治(力士)
岡田英次(俳優)
岡田幸三郎(実業家、作家遠藤周作夫人・遠藤順子の父)
金子周次(版画家)
カノン(ベーシスト、アンティック-珈琲店-)
嘉納毅六(醸造家・菊正宗)ヤマサ濱口家六男。
川名登(水運史研究者、郷土史家)
木樽正明(プロ野球選手)
菊地秀行(作家)
菊地成孔(ジャズ・ミュージシャン)
清谷信一(軍事評論家)
国木田独歩(作家)
弦哲也(作曲家)
越川芳明(英文学者・映画評論家)
榊原翼(プロ野球選手)
坂口三千代(随筆家)
篠塚和典(プロ野球選手・コーチ)
鈴木優磨 (サッカー選手)
千田川吉藏 (2代)(大相撲力士)
高倉みゆき(女優)
高階良子(漫画家)
髙見山酉之助(大相撲力士)
瀧本雄太(サッカー選手)
田中清隆(競馬騎手・調教師)
田中玄蕃(ヒゲタ醤油・創業元和2年)
千葉一夫(歌手)
銚子灘伝右エ門(力士)
富田茂之(弁護士、公明党衆議院議員)
夏木ゆたか(タレント)
名雪佳代(女優・タレント・モデル)
濱口吉右衛門(醸造家・ヒゲタ醤油当主)
濱口儀兵衛(醸造家・ヤマサ醤油当主)
浜口陽三(版画家)ヤマサ濱口家三男。
藤ヶ崎矢子(女子プロレスラー)
松井簡治(国語学者)
宮内洋(俳優)
宮内龍汰(元サッカー選手)
本谷育美(テレビ静岡アナウンサー)
柳家三之助(落語家)
Yumiyo(作詞家)
和歌森太郎(歴史・民俗学者)
渡辺學(日本画家)
【[旅気分]]海界の村を歩く 日本海 壱岐島(長崎県)・勝本浦 】
この動画は壱岐市勝本町の勝本浦地区(故郷・漁師町)だけの動画です。
勝本浦表通りに特化した動画です。
正直、私自身驚きました。私の実家も写ってます。
【辰の島遊覧&渡船】
「日本の海水浴場百選」の辰ノ島。壱岐随一の透明な砂浜の渚、奇岩・断崖絶壁を海から見上げる島巡り遊覧が一押し。
令和3年8月、勝本漁協観光案内所「ヒヨリミテラス」リニューアルオープン。
イカバーガーをはじめ、勝本町漁業協同組合漁師自慢のイカ料理を提供しています。遊覧船利用の前後に、ぜひお立ち寄りください。