千葉県(銚子市)・銚子電鉄 ぬれ煎餅駅
20211126
す、凄い
種類は豊富でたまげた💦
ぬれ煎餅・あられ・あげもち・お酒・鉄道グッズ・佃煮・落花生・海産物
株式会社イシガミさんがお師匠さんらしい。
しかし、種類の豊富さすごいよな。
基本情報
住所:銚子市小浜町1753
TEL:0479-26-3852
FAX:0479-26-4466
営業時間:0:00~17:00
定休日:火曜日(祝日の場合は翌日)
駐車場:30台(大型バス可)
アクセス:自動車:JR「銚子駅」・銚子電鉄「犬吠駅」から約15分
バス:JR銚子駅前 2番バス乗り場 旭銚子線「飯岡支所」行き「三崎三丁目」バス停下車、徒歩約6分
【店舗より】
千葉県内の煎餅はもちろん、全国の美味しいあられや揚げもちを多数ご用意いたしました。
ぬれ煎餅駅限定のグッズやお買い得品を多数ご用意しております。
鉄道会社直営のちょっと変わったあられ・煎餅の直売店です。
ぬれ煎餅の手焼き体験も好評です。お車で銚子にお越しの際には、ぜひお立ち寄りください!
【奇跡のぬれ煎餅 ~小さな煎餅が銚子電鉄を救った~】
奇跡のぬれ煎餅 ~小さな煎餅が銚子電鉄を救った~
The Miracle of Nuresembe – the wet rice cracker that saved Choshi Dentetsu.
銚子電鉄は千葉県最東端の銚子市を走る、全長僅か6.4km の小さな私鉄です。
そんな鉄道会社が販売している「ぬれ煎餅が起こした奇跡の実話」をご紹介させていただきます。
Choshi Dentetsu is a private railroad company operating in Choshi City, at the easternmost tip of Chiba prefecture, Japan. The rail line has only 6.4km in total length. This is the story of how nuresenbei (wet rice crackers, a chewy moist rice cracker flavored with soy sauce) was able to save Choshi Dentetsu.
銚子電鉄は過疎化による人口減少や、観光客の減少により年々乗客数が減り、行政からの補助金で何とか運行を維持している状態でした。
昭和30 年代に年間250 万人以上いた乗客は、平成に入ると100万人を切り、いつ廃線になるかと不安を抱えながら仕事をしていました。
Due to a decline in the local population and number of tourists, the number of passengers on Choshi Dentetsu was decreasing year by year. Choshi Dentetsu was just getting by with a subsidy from the local government. In the 1950s, there were over 2.5 million passengers yearly but by the 1990s that number had dropped below 1 million. We were working under the fear of having to shut down the rail line.
平成18年、恐れていたことが現実に変わりました。
当時の社長に横領が発覚。その額は1億円を超え、すでに行政からの補助金は打ち切りになっており、倒産の危機が目の前に迫ってきました。
“Then in 2006 what we feared came to happen. It was revealed that the president at the time had embezzled over 100 million yen. Our government subsidy had already expired and we were facing bankruptcy.
しかも、時を同じくして国土交通省の監査が入り、老朽化した線路や踏切の改善・修理の命令も出されました。3カ月以内に線路・踏切などの改修をしなければ運行停止。それには約5,000万円もの費用が必要で、会社にとってこれは“死刑宣告”とでも言うべきものでした。
To make matters worse, after an inspection by The Ministry of Transportation, we were required to improve and repair our aging railroad tracks and crossings. Our operations would be suspended if the repairs and improvements were not done within 3 months. It would cost 50 million yen, which amounted to a death sentence for the company.
そのうえ車両の法定検査(自動車の車検のようなもの)が1ヶ月後に迫り、費用は1,000万円。これら多額の費用は月間運賃収入が900万円の赤字会社がとても確保できる額ではありません。社員の給料さえも全額払えない状況で、この時の通帳残高は僅かに200万円。銀行からの追加融資も元社長の横領問題で望めず、会社存続は絶望的な状況でした。
Even further, our train cars were due for inspection (similar to automobile inspections) in a month, costing another 10 million yen. It was nearly impossible to meet these expenses with a company in deficit making only 9 million yen per month in passenger fares. We were not able to pay our employees’ salaries and I recall our remaining balance was only 2 million yen. With our embezzlement issue, there was no chance of getting a loan from a bank. The company was desperate to survive.
それでも何とかしなければならない…
出来る事といえば、数年前より製造・販売を開始した副業の「ぬれ煎餅」を売ることだけでした。
But we had to do something. All we could do was to sell the nuresembei that we had started making and marketing a few years earlier as a side project.
電車を走らせる為に、「買って下さい、買って下さい。」来る日も来る日も必死になって売り歩きましたが、そう簡単に売れるものではありません。現実の厳しさを思い知らされました。
「本当にこんなことに意味があるのか?」「私達が思うほどに銚子電鉄は必要とされてないのか?」
そんな思いが頭をよぎり、やる気を失いかけていました。
In order to keep our trains running we desperately peddled our nuresenbei, calling out “Please buy these. Please buy these.” But of course it wasn’t that easy. We soon had to face the harsh reality.
“Is there really any point in doing this?” “Do people even need Choshi Dentetsu?” Such thoughts flashed through our minds and we were starting to lose morale.
もうダメかと諦めかけていたある日の朝、パソコンを開くと、膨大な数のメールが2,000…3,000件…!
「ぬれ煎餅」のご注文が今までに見たことがないようなペースで入り続けていました。
一瞬、わが目を疑いました。一体これはどういうことなのだろう…?
Just when we were about ready to give up, one morning when we looked at our email, there were 2000 or 3000 emails. Orders for nuresenbei started coming in at a pace we had never seen before. We couldn’t believe our eyes. What was going on here?
実は3日前の夜、「もはや残された時間はあと数日、このままでは完全に資金ショートを起こしてしまう。何かしなければ。」・・そう思った時にふと思いついたのが、インターネットでぬれ煎餅の購入を呼びかけることでした。
In fact, three days previously, we decided that to avoid completely running out of funds we had to do something, and began selling nuresenbei over the internet.
「ぬれ煎餅を買って下さい。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです。」
という言葉が自然と頭に浮かび、思わずホームページに書き込みをしたのです。
The phrase came to mind “Please buy our nuresenbei. We need money to repair our trains” and without thinking I wrote it on our website.
この書き込みを見た多くの人がインターネットの掲示板やブログ(日記)などで、「ぬれ煎餅の購入」を呼び掛けてくれたためでした。
そのメッセージに10日間で10,000人以上のお客様が共感してくれたのです。
Many people who saw our message shared it on their blogs and message boards inviting other people to pitch in and help. Within ten days of our message, we were overwhelmed with the warm response and received over 10,000 orders.
その後テレビなどにも取り上げられ、ぬれ煎餅は爆発的な売上げを記録しました。
この売上げにより「車輌の法定検査」や「老朽化施設の改修」などの費用を賄うことができました。
これはまさに思いもよらぬ「奇跡」でした。
After this, we were featured in television programs and our sales exploded to record levels. Through the proceeds we were able to cover the inspection fees and perform the train line maintenance. Completely unexpected, without a doubt this was a miracle.
そして、ご注文をいただいた多くのお客様からメッセージが添えられていました。
「年金生活なので、これが精一杯の買い物でした。ごめんなさい…。」
「彼女との初デートに銚子電鉄を利用しました。その時、僕が緊張しているのを見た車掌さんが話しかけてくれ、二人を和ませてくれました。その時の彼女は、今僕の妻です。子供も二人できました。僕達を結びつけた銚子電鉄、あの時の優しい車掌さん、今度は僕が助ける番です。」
「子供達がお金を出し合いお煎餅を注文しました。銚子電鉄がんばれ!」
「私が小さい頃、去年亡くなった母と銚子電鉄に乗った大変楽しい思い出があります。優しかった母との思い出の一部がなくなってしまうのは悲しいです。絶対に守ってください。ずっと応援します。」
Many of our orders included messages from the customers.
“We are sorry we can only buy this much since we’re living on a fixed income..”
“My girlfriend and I rode Choshi Dentetsu on our first date. Seeing me all nervous, the train operator talked to us and loosened me up. That girlfriend is now my wife. We have two kids together. Now it’s my turn to help.”
“Our children pitched in their own money to order nuresembei. We are with you!”
“I have fond childhood memories of riding Choshi Dentetsu with my mother. She passed away last year and it would be a shame if those memories disappeared. Please don’t give up. You’ll always have our support.”
メッセージを読んでいると涙が溢れてきました。「ありがとうございます。ありがとうございます。」ただ感謝の言葉しか思い浮かびませんでした。
Reading messages like this made tears well up in my eyes. All I could think to say was “Thank you. Thank you. Thank you.”
私は「苦しいときに助けを求めることは、恥ずかしいことではない」ということを学びました。
あの時、ホームページにぬれ煎餅の購入を呼びかけて本当に良かったと思っています。もし呼びかけていなければ、もう銚子電鉄は確実に廃線となっていたことでしょう。
また、このような奇跡が起きることもありませんでしたし、お客様の温かい気持ちを知る機会もなかったと思います。
I’ve learned an important lesson. When you are in need, there’s no shame in asking for help. I am so glad I put that message up on our website asking people to buy our nuresenbei. If I hadn’t, Choshi Dentetsu would have gone out of business by now. The miracle would never have happened and we would never have known how much our customers care about us.
そして今は「多くの人からいただいた温かい想いを、自分達がどれだけ返せるか!」「人のためになれるか!」「このご恩は返さなければいけない!」と強く思っています。
だから、私達は電車を走らせ続け、「電車に乗って楽しかった」と思って頂けるように、そして「このぬれ煎餅を食べた人が美味しかった」と、一時でも幸せになれるように、これからも全力を尽くします。
And now, we ask ourselves “How can we return the kindness that so many people have shown us? Is there some way we could be of help to someone? We have to find some way to repay this debt of gratitude.” Therefore, we will keep our trains running and hope in some way to repay people by giving some small happiness whether it be “It was fun riding the train.” or “The nuresembei was delicious.”
また、この話を読んでいただいたお客様が、「人の心の温かさ」や「諦めない気持ち」、「困った時は素直に助けを求める」など、現代社会の人達が忘れかけたものを思い出し「人と人との温かいつながり」が増えるきっかけになれたら嬉しいです。
And for you who have taken a moment to read this article, I would be grateful if it helps you remember things often forgotten in modern society: the importance of human kindness, never giving up, and asking for help in times of need. And I hope it serves as a chance to increase the bonds of warmth between people.
今でもぬれ煎餅をご購入していただいたお客様から「電車大丈夫?」と心配されたり、「電車運行がんばって!」と激励を受けたりしています。お客様に恵まれ本当に幸せです。
Even now, our customers often ask us “Is the railway doing alright?” or encourage us by saying “We are with you!” We are blessed to have such great customers.
これからも、様々な問題がおこるかもしれませんが、従業員一丸となって頑張っていきます。
We may face further difficulties in the future but everyone here at Choshi Dentetsu are determined to work together as a team and overcome any new challenges.
【千葉県銚子市の概要】
銚子市(ちょうしし、英:Choshi City)は、関東地方最東端、千葉県北東部の海匝地域にある全国屈指の漁港町、及び観光都市である。
古くは東北からの東廻海運の港ととして栄え、日本一の水揚げ量を誇る銚子漁港(特定第3種漁港)を始め、「最上醤油」の銘柄を持つ醤油醸造を中心に、味噌、味醂、水産業、流通業等が盛んで、江戸に運ぶ利根海運の交易都市として発展。市全域で銚子ジオパークをなし、景勝地が豊富な海岸線は水郷筑波国定公園に指定され、数多くの文豪も訪れる文豪の地として親しまれてきた観光都市となっている。
地理
東京都心から100km圏内、関東平野の最東端に位置し、市の北部には利根川が流れており、銚子市で太平洋に注ぐ。北は利根川、東と南は太平洋に面する。江戸時代に利根川水運が開発され、醤油醸造業と漁業で発展。農業は露地野菜を中心に発展した観光都市。
利根川河口と銚子市街地
銚子市は、利根川沿いの低地と北総台地からなり、表層は関東ローム層に覆われている。愛宕山(標高73.6m)は北総台地最高峰。水田は台地山間の谷津田と利根川沿いに広がっており、畑地帯は台地の平坦部に位置し、比較的農業に適している。
市域
広袤(こうぼう):東西16.2km、南北12.8km
自然
川:利根川(利根川が太平洋に注ぐ河口である)
気候
周囲が海に囲まれているため海洋性気候となっている。すなわち、湿度は高めであり、気温は年間平均気温が約15℃で夏涼しく冬暖かいといわれる。
夏場は、関東平野部の都市では珍しく日中でも30℃を超えることは少なく、35℃を超えることはめったにない。熱帯夜になることもあまり無く、関東屈指の避暑地と言える。一方、冬場は南九州並みに温暖で気温が氷点下になることはほとんどなく、雪が降ることは非常に珍しい。
またトマト、メロン、スイカ、イチゴなど海洋性気候に適した野菜や果物が栽培されている。
また、年間を通して比較的風が強く、風力発電所の風車が34基稼働している。
隣接する自治体
千葉県
旭市
香取郡東庄町
茨城県
神栖市
歴史
地名の由来
入り口が狭く中に入るとより広い空間が広がる「銚子口」と呼ばれた地形。
2012年撮影の18枚を合成作成。
元は「銚子口」と呼ばれていた。「銚」は、小さな注ぎ口を持つ酒器で、もともとは生薬を煎じるのに使われた土瓶ややかんの類入り口が狭く、中に入るとより広い空間が拡がる地形がよく似ているため、この地名がついたとされる。「銚子」が行政区画名として町名に使われたのは、1889年(明治22年)4月1日「市制町村制」が施行されてからである。
銚子漁港
銚子醤油初代社長・浜口吉兵衛
現在、銚子漁港は日本随一の水揚量を誇る漁港となっているが、かつては日本の三大海難所の一つに数えられた所であった。利根川の河口付近に千人塚(銚子市川口町2丁目)が築かれており、銚子近辺で起きた海難事故の犠牲者が祀られている。「千人塚」という名前の由来は、「1616年(慶長19年)10月25日銚子沖に吹いた突風によって、千人以上が亡くなったため」とも、「祀られる犠牲者が増え続けた結果、いつしか千人塚と呼ばれるようになった」とも伝わる。昔の利根川河口付近は川幅が狭く、川底には大きな岩があり水深が浅く、干潮時と満潮時の潮の流れは急で、一年中風が強く吹き波が荒い場所であった。1910年(明治43年)3月12日には、漁船80隻、漁民千人以上が遭難した。当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」などと諷されていた。
何度も遭難が繰り返される中、銚子の町人や漁民らの間から河口を広げ水深を深くし、安心安全な漁港を造って欲しいという要望が上がり、銚子醤油株式会社(現:ヒゲタ醤油)社長の濱口吉兵衛を千葉県水産株式会社取締役社長に抜擢し、安全な港に修築できるように、県や国に訴えて貰うことにする。以後、県や国が調査し、川底の爆破をし水深を深くすることを試みるものの、かえって流れが急になり、やむなく中止。また、救助砲(救助ロープを打ち出す砲台)を設置したものの、いざ使用してみると、船まで届かず全く意味を成さなかった。
以後、吉兵衛は悩み、漁民を危険な状況から救うため、また、国へこの実情を訴えるために国会議員になる決意をする。その後、国会議員となった吉兵衛は、千葉県議会議員であった小野田周斎と共に銚子漁港改修に全力を注ぎ、銚子港修築案がついに国会を通過、国からの援助を得ることが決まった。1925年(大正14年)12月修築工事が始められ、1932年(昭和7年)11月竣工した。
1937年(昭和12年)に吉兵衛の功績を讃え、新生河岸公園に銅像が建立されたが、1943年(昭和18年)の戦時中に金属類回収令で軍事供出された。その後、1955年(昭和30年)に吉兵衛の銅像は再建された。
地域
人口
銚子市はかつて、千葉市に次いで県内2番目に市政施行するなど、港町として活況を誇っていたが、現在、人口減少率は県内3位となっており、近年の少子高齢化を反映している。かつては、東総地域の中心的都市としての役割を担っていたが、現在、近隣の旭市や茨城県神栖市などに雇用口や商圏などが移り、市内の活気は薄れ、観光や水産業などの面でも頭打ちの状態が続いている。近年では福祉などにおけるサービス格差が神栖市と離れており、財政難(千葉科学大学への77億5千万円もの補助金や銚子市立高校建設費62億7400万円などが重くのしかかっている)から、利根川対岸にある神栖市並みか神栖市以上のサービス向上を図れず、半島特有の後背地の少なさ、交通の便の悪さなども起因して今後も人口減少が進むと見られている。県の試算では、2000年から2030年までの間の人口減少率は -29,490人の -37.5%となり、県内1位の減少率となることが推測されている。ただし、2015年度の財政力指数が0.58であり現時点では過疎地域には指定されていない。利根川を挟んで対岸の茨城県神栖市への通勤率は10.7%(平成22年国勢調査)。
人口構成
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.25%減の64,415人であり、増減率は県下54市町村中50位、60行政区域中56位で、千葉県の市の中では最も減少率が高い。
健康と福祉
市の中核病院であった銚子市立総合病院が、市の財政難を主な理由に2008年(平成20年)9月30日をもって休止していたが2010年(平成22年)5月6日に再開した
産業
商業
外房では茂原市に次ぐ第2の商業都市である。
漁業
銚子漁港
年間水揚数量全国第1位(2009年、22万3739トン)
年間水揚金額全国第6位(2009年、233億7089万円)
外川漁港
工業
丘陵地帯のキャベツ畑と風力発電所
醤油の生産地として名高い(ヤマサ醤油、ヒゲタ醤油)。このほか、銚子漁港や犬吠埼などの観光も重要な産業である。また、醤油の原材料の大豆の輸入関係は鹿島港で行われ、生産過程で出てくる大豆絞りかすは鹿島臨海工業の波崎地区の飼料工場の原材料になっている。琥珀の産地である。
日本風力開発の関連会社により、市内には多数の風力発電が稼働している。その大半は、屏風ヶ浦を中心とした高台に位置する。
銚子屏風ヶ浦風力開発
銚子屏風ヶ浦風力発電所 1,500kW機(1基)
銚子小浜風力発電所 1,500kW機(1基)
銚子風力開発
銚子風力発電所 1,500kW機(9基)
八木風力発電所 1,500kW機(6基)
その他の風力発電所は以下の通り。
エムウインズ
銚子しおさい風力発電所 1,500kW機(2基)
堀江商店
銚子新町風力発電所 1,980kW機(1基)
くろしお風力発電
銚子高田町風力発電所 1,990kW機(1基)
椎柴風力発電所 1,990kW機(5基)
台町自然環境エネルギー研究所
台町風力発電事業 640kW機(1基)
銚子ウィンドファーム
銚子ウィンドファーム 1,500kW機(7基)
姉妹・提携都市
海外
アメリカ合衆国の旗 クースベイ市(Coos Bay, Oregon, アメリカ合衆国オレゴン州)
1983年(昭和58年)2月10日 銚子市制施行50周年記念式典の席上、クース・ベイ市代表者の出席を得て、姉妹都市協定締結の調印式を行った。1983年10月、銚子市長が港湾施設等視察のため渡米した際、クース・ベイ市への訪問が契機となり、国際親善の気運が高まったのがきっかけとなった。
フィリピンの旗 レガスピー市(Legazpi City, フィリピン共和国アルバイ州)
1985年(昭和60年)6月27日 レガスピー市議会が銚子市との姉妹都市提携を決議し、レガスピー市長から姉妹都市協定締結の申し入れがあったため、銚子市議会に提案。同市議会の議決を得て提携が成立した。両市の人口規模、産業形態が類似していることや、世界の平和を祈念するため1958年に銚子市に建立された。「日比友愛の碑」の斜塔がレガスピー市のマヨン山を指していることなど銚子市とフィリピンとの関係も深い。
教育
学校
幼稚園
銚子市立海上幼稚園
銚子市立春日幼稚園
銚子市立椎柴幼稚園
銚子市立清水幼稚園
銚子市立豊里幼稚園
銚子市立本城幼稚園
銚子市立船木幼稚園
私立飯沼幼稚園
私立銚子幼稚園
小学校
銚子市立飯沼小学校
銚子市立海上小学校
銚子市立春日小学校
銚子市立椎柴小学校
銚子市立清水小学校
銚子市立高神小学校
銚子市立豊岡小学校
銚子市立豊里小学校
銚子市立双葉小学校
銚子市立船木小学校
銚子市立本城小学校
銚子市立明神小学校
中学校
銚子市立第一中学校
銚子市立第二中学校
銚子市立第三中学校
銚子市立銚子中学校
銚子市立西中学校 - 2021年4月に以下の中学校が統合し開校予定
銚子市立第五中学校
銚子市立第六中学校
銚子市立第七中学校
高等学校
千葉県立銚子高等学校
千葉県立銚子商業高等学校
銚子市立銚子高等学校
特別支援学校
千葉県立銚子特別支援学校
大学
千葉科学大学
交通
鉄道
東日本旅客鉄道
■総武本線
猿田駅 - 松岸駅 - 銚子駅
■成田線
下総豊里駅 - 椎柴駅 - 松岸駅
銚子電気鉄道
■銚子電気鉄道線(全線市内)
銚子駅 - 仲ノ町駅 - 観音駅 - 本銚子駅 - 笠上黒生駅 - 西海鹿島駅 - 海鹿島駅 - 君ヶ浜駅 - 犬吠駅 - 外川駅
路線バス
高速バス
大阪 - 銚子線は夜行、その他は昼行
利根ライナー(佐原ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原駅北口・豊里・高速松岸・銚子駅 (千葉交通)
利根ライナー(小見川ルート): 浜松町BT・東京駅 - 佐原香取・豊里・高速松岸・銚子駅・陣屋町 (千葉交通)
犬吠号(旭ルート):浜松町BT・東京駅 - 旭中央病院東 - 高速八木・イオン銚子・銚子駅・陣屋町・犬吠埼・犬吠埼太陽の里 (千葉交通、京成バス)
銚子?千葉・幕張線: 免許センター・海浜幕張駅・千葉中央駅・千葉駅 - 高速八木・陣屋町 (千葉交通) ※平日1往復
一般路線バス
千葉交通
千葉交タクシー
関東鉄道
道路
市内の銚子大橋前交差点は、国道124号( - 鹿嶋市 - 終点・水戸市)、国道126号( - 東金市 - 終点・千葉市)、国道356号( - 終点・我孫子市)が集まる3国道の起点となっている。
一般国道
国道124号
国道126号
国道356号(利根水郷ライン)
有料道路
銚子新大橋有料道路(利根かもめ大橋有料道路)
主要地方道
千葉県道37号銚子停車場線
千葉県道71号銚子旭線
千葉県道73号銚子海上線
千葉県道74号多古笹本線
一般県道
千葉県道198号銚子波崎線
千葉県道211号飯岡猿田停車場線
千葉県道216号飯岡松岸停車場線
千葉県道244号外川港線
千葉県道254号銚子公園線
千葉県道286号愛宕山公園線(銚子ドーバーライン)
自転車道
千葉県道404号銚子小見川佐原自転車道線
港湾
名洗港
著名な出身者
石毛えい子(社会福祉学者、民主党衆議院議員)
石毛博史(プロ野球選手)
上野愛(漫画家)
内田良平(俳優)
内海桂子(漫才師)
江畑謙介(軍事評論家)
大崎瑠衣(元 銚子元気娘。 現 Chu☆Oh!Dolly)
大ノ濵勝治(力士)
岡田英次(俳優)
岡田幸三郎(実業家、作家遠藤周作夫人・遠藤順子の父)
金子周次(版画家)
カノン(ベーシスト、アンティック-珈琲店-)
嘉納毅六(醸造家・菊正宗)ヤマサ濱口家六男。
川名登(水運史研究者、郷土史家)
木樽正明(プロ野球選手)
菊地秀行(作家)
菊地成孔(ジャズ・ミュージシャン)
清谷信一(軍事評論家)
国木田独歩(作家)
弦哲也(作曲家)
越川芳明(英文学者・映画評論家)
榊原翼(プロ野球選手)
坂口三千代(随筆家)
篠塚和典(プロ野球選手・コーチ)
鈴木優磨 (サッカー選手)
千田川吉藏 (2代)(大相撲力士)
高倉みゆき(女優)
高階良子(漫画家)
髙見山酉之助(大相撲力士)
瀧本雄太(サッカー選手)
田中清隆(競馬騎手・調教師)
田中玄蕃(ヒゲタ醤油・創業元和2年)
千葉一夫(歌手)
銚子灘伝右エ門(力士)
富田茂之(弁護士、公明党衆議院議員)
夏木ゆたか(タレント)
名雪佳代(女優・タレント・モデル)
濱口吉右衛門(醸造家・ヒゲタ醤油当主)
濱口儀兵衛(醸造家・ヤマサ醤油当主)
浜口陽三(版画家)ヤマサ濱口家三男。
藤ヶ崎矢子(女子プロレスラー)
松井簡治(国語学者)
宮内洋(俳優)
宮内龍汰(元サッカー選手)
本谷育美(テレビ静岡アナウンサー)
柳家三之助(落語家)
Yumiyo(作詞家)
和歌森太郎(歴史・民俗学者)
渡辺學(日本画家)
【[旅気分]]海界の村を歩く 日本海 壱岐島(長崎県)・勝本浦 】
この動画は壱岐市勝本町の勝本浦地区(故郷・漁師町)だけの動画です。
勝本浦表通りに特化した動画です。
正直、私自身驚きました。私の実家も写ってます。
【辰の島遊覧&渡船】
「日本の海水浴場百選」の辰ノ島。壱岐随一の透明な砂浜の渚、奇岩・断崖絶壁を海から見上げる島巡り遊覧が一押し。
令和3年8月、勝本漁協観光案内所「ヒヨリミテラス」リニューアルオープン。
イカバーガーをはじめ、勝本町漁業協同組合漁師自慢のイカ料理を提供しています。遊覧船利用の前後に、ぜひお立ち寄りください。