自撮りじゃない。
ということは誰かに撮ってもらった?はい。
若い着物姿二人組の女性に。
彼女たちが撮ってくれと言ったので撮ったら、「撮りましょうか?」と。
で、撮ってもらったわけだが、レンタル着物は太宰府でもやってるんですね。
延岡から来たらしく、延岡女性の延岡に帰ってくる率が高いということを以前、延岡のGSのお姉さんに聞いたので、もう一度聞いて見た。
「はい。みんな結構帰って来て延岡で結婚します。」
サンプル率は少ないがこういう現象は他ではほぼ聞かない。
そんなに魅力的か?延岡?
確かに高千穂峡は近い
鮎やな
漁獲高が5年前に行ったとき自治体職員が全国2位になったと。
主に養殖だがそれはそれで大したもんだ。
ちなみに彼女たちは予想に反してさっさと去って行き韓国人の集団に囲まれていた。
太宰府天満宮
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
祭神
菅原道真公
学問の神として広く知られている。
歴史
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の延喜3年(903年)に同地で死去した。その死後、道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、さらに6年後の延喜9年(909年)には藤原時平が39歳の壮年で死去した。これらのできごとを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀である。
それでも「道真の祟り」は収まらず、延喜23年(923年)には皇太子保明親王が21歳で死去。狼狽した朝廷は、延長と改元したうえで、4月に道真の官位を生前の右大臣の官職に復し、正二位の位階を追贈した。しかしそれでも「祟り」が沈静化することはなく、保明の遺児慶頼王が代わって皇太子となったものの、延長3年(925年)には慶頼もわずか5歳で死去した。そしてついに延長8年(930年)6月、醍醐天皇臨席のもとで会議が開かれていた、まさにその瞬間、貴族が居ならぶ清涼殿に落雷があり、死傷者が出る事態となった(清涼殿落雷事件)。天皇は助かったが、このときの精神的な衝撃がもとで床に伏せ、9月には皇太子寛明親王(朱雀天皇)に譲位し、直後に死去するに至った。承平元年(931年)には道真を側近中の側近として登用しながら、醍醐と時平に機先を制せられその失脚を防げなかった宇多法皇も死去している。わずか30年ほどの間に道真「謀反」にかかわったとされた天皇1人・皇太子2人・右大臣1名以下の高級貴族が死亡したことになる。猛威を振るう「怨霊」は鎮まらず、道真には太政大臣追贈などの慰撫の措置が行われ、道真への御霊信仰は頂点に達した。ついに正暦元年(990年)頃からは本来は天皇・皇族をまつる神社の社号である「天満宮」も併用されるに至った。寛和2年(986年)、道真の曾孫菅原輔正によって鬼すべ神事が始められるようになった。
寛弘元年(1004年)、一条天皇が初めて北野天満宮へ行幸されて、太宰府へも勅使をつかわせて以来、士庶の崇敬を広く集め、とくに承徳元年(1097年)、大江匡房が太宰権帥に任ぜられてからは神幸祭など、祭祀が厳かになったという。
本殿が再建されたのは、時代が変わって安土桃山時代の天正19年(1591年)、小早川隆景によるものである。
江戸初期に黒田氏が国主になってからは、常に社域の整備や社殿の修復・造営がおこなわれて社運は隆盛、九州でも多くの観光客を集める神社となっている。
文明12年(1480年)に当地を訪れた連歌師の宗祇が『筑紫道記』にこの安楽寺天満宮のことを記しているが、道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。
明治に入り、新政府の神仏分離の処置で、天満宮周辺に住む多くの社僧は復飾・還俗や財産処分などを余儀なくされ、 講堂、仁王門、法華堂などの建物や多くの仏像などは破壊あるいは売却され、天満宮の御神体であった道真公御親筆の法華経も焼き捨てられ、安楽寺は廃寺となる。
近代社格制度のもとで明治4年(1871年)に国幣小社に列格するとともに神社名を太宰府神社に変更した。これは北野天満宮が近代社格制度のもと「北野神社」に変更したのと同様に、「宮」号が基本的には皇族を祭神とする神社しか使用できなくなったからである。同15年(1882年)には官幣小社に昇格、次いで同28年(1895年)には官幣中社に昇格した。神社の国家管理を脱した戦後の昭和22年(1947年)に社号を太宰府天満宮に復した。
祭神の菅原道真が「学問の神様」であると同時に「文化の神様」としても信仰されていたため、それぞれの時代の人々による和歌・連歌・歌舞伎・書画の奉納を通じて、文芸・芸能・芸術、いわゆるアートと関係が深まっていった。平成の時代においても、女性音楽グループが本殿前に特設の舞台を設け歌唱奉納を行うなどしている。また、奉納絵馬は九州でも指折りの質量となっており、それを掲げた絵馬堂はギャラリーとしての役割を果たしている。
参道を登りつめた先には延寿王院があり、ここは幕末維新の策源地といわれ、三条実美たち公卿5人が3年半余り滞在した所である。土佐脱藩の土方久元や中岡慎太郎も滞在しており、薩摩の西郷隆盛や長州の伊藤博文、肥前の江藤新平、坂本龍馬なども来訪している。
太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。
神事
初詣(歳旦祭) - 1月1日
鬼すべ - 1月7日
鷽替え - 1月7日
初天神祭 - 1月25日
梅花祭 - 2月25日
曲水の宴 - 3月第1日曜日
斎田御田植祭 - 6月中旬
神幸式大祭 - 9月21日〜9月25日
例祭 - 9月25日
秋思祭 - 旧暦9月10日
特別受験合格祈願大祭 - 10月18日
社殿
本殿は五間社流造で屋根は檜皮葺。正面に1間の唐破風造の向拝(こうはい)を設ける。また、左右側面には各1間でこれも唐破風造の車寄を付け、廻廊が前方の楼門まで廻らされている。本殿は明治40年(1907年)5月27日に古社寺保存法に基づく特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)文化財保護法施行に伴い重要文化財とされている。昭和41年(1966年)6月11日付で棟札9枚と板札2枚が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。
太宰府天満宮を舞台にした作品
能楽
世阿弥『老松(おいまつ)』
能では一番目に演じられる初番目物(しょばんめもの)。粗筋は梅津の某(ワキ)が夢の告げで筑紫安楽寺(太宰府天満宮)に行くと、老人(前シテ)と若い男(ツレ)が咲き誇る梅の垣を囲っている。飛梅(後述)とその脇の古松(老松)の謂われを尋ねると、2人はその謂われを語り、梅と松が唐の国でも尊ばれたことを述べて神々しい姿で去る。梅津の某が老松のかたわらに祗候していると、老松の神霊(後ジテ)が現れ、客人を慰めようと様々な舞楽を奏し神託を告げる。この後ジテは老人の面に白髪をたれた老神の姿で登場し、その舞いは荘厳な真ノ序ノ舞である。因みにツレの若い男は実は飛梅の精で、飛梅とは道真が京から左遷された時、京から飛んできたとされる梅である。江戸時代、徳川将軍家では「高砂」とともに筆頭祝言曲とされた。
歌曲
大和田建樹『鉄道唱歌』第2集山陽九州篇
41.まだ一日とおもいたる 旅路は早も二日市 下りて見てこん名にききし 宰府の宮の飛梅を
42.千年(ちとせ)のむかし太宰府を おかれしあとは此処(このところ) 宮に祭れる菅公の 事績かたらんいざ来たれ
43.醍醐の御代の其(その)はじめ 惜しくも人にそねまれて 身になき罪をおわせられ ついに左遷と定まりぬ
44.天に泣けども天言わず 地に叫べども地もきかず 涙を呑みて辺土なる ここに月日をおくりけり
45.身は沈めども忘れぬは 海より深き君の恩 かたみの御衣を朝毎(あさごと)に ささげてしぼる袂かな
46.あわれ当時の御心を おもいまつればいかならん お前の池に鯉を呼ぶ おとめよ子等(こら)よ旅人よ
47.一時栄し都府楼の あとをたずねて分け入れば 草葉をわたる春風に なびく菫(すみれ)の三つ五つ
48.鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺 仏も知るや千代までも つきぬ恨みの世がたりは
鉄道唱歌第2集は全68番であるが、そのうち太宰府には8分の1弱に当たる8番を割り当てており、作者の建樹が道真と天満宮に強い関心を持っていたことを窺わせる。
さだまさし「飛梅」(アルバム『風見鶏』収録)など、さだの数作品に大宰府天満宮が舞台として詩に書かれる。
さだは、自身の所有する詩島に太宰府天満宮の分霊を祀った「詩島天満宮」を建立している。
小説
住野よる『君の膵臓をたべたい』
主人公「僕」と桜良が福岡を旅行する中で太宰府天満宮に参拝するシーンがある。2017年に映画化された際、実際に当地でロケも行われている。
なお、太宰府天満宮及び前身の安楽寺が登場する文学作品は古典から現代の小説まで数多く存在し、漫画、アニメ等でも数多く登場する。
文化財
国宝
翰苑巻第卅(書跡)
平安時代の作。1954年(昭和29年)3月20日指定。
重要文化財(国指定)
本殿(附 棟札9枚、板札2枚)(建造物)
桃山時代の造営。1907年(明治40年)5月27日指定。
末社志賀社本殿(建造物)
室町時代中期、長禄2年(1458年)造営。1907年(明治40年)5月27日指定。
毛抜形太刀 無銘(工芸品)
平安時代の作。1923年(大正12年)3月28日指定。
太刀 銘俊次(工芸品)
鎌倉時代の作。1912年(大正元年)9月3日指定。
梅月蒔絵文台(工芸品)
裏面に信元(花押)の蒔絵銘がある。室町時代の作。1980年(昭和55年)6月6日指定。
太宰府天満宮文書 78巻・25冊・1幅(附 大宰府天満宮境内図(着色)1幅)(古文書)
平安時代から江戸時代の文書。1982年(昭和57年)6月5日指定。
蓮華唐花文塼(考古資料)
福岡県筑紫郡太宰府町大字観世音寺出土。奈良時代の作。1961年(昭和36年)6月30日指定。
国の天然記念物
太宰府神社のクス - 1922年(大正11年)3月8日指定。
太宰府神社のヒロハチシャノキ - 1935年(昭和10年)6月7日指定。
福岡県指定文化財
有形文化財
天満宮の石造鳥居(建造物)
天満宮の石造燈籠(建造物)
北野天神縁起(絵画)
木造狛犬(彫刻)
銅製鰐口(工芸品)
鉄製雲版(工芸品)
鶴亀文懸鏡(工芸品)
銅製麒麟並に鸞(工芸品)
銅製神牛(工芸品)
銅製花瓶(工芸品)
太宰府天満宮飛梅柵擬宝珠(工芸品)
滑石硯(考古資料)
銅製経筒(考古資料)
石製経筒(考古資料)
瓦経(考古資料)
蒙古碇石(考古資料)
有形民俗文化財
太宰府天満宮の力石
無形民俗文化財
太宰府天満宮神幸行事
鬼すべ
天然記念物
天神の森(樟)
太宰府市指定文化財
有形文化財
相輪橖(建造物)
老松社本殿(建造物)
六座の面(附 納入箱)(彫刻)
天然記念物
太宰府天満宮のイチイガシ
名物
飛梅にまつわるものが多い。
大宰府へ赴くため都を発つ道真が庭先に立っている梅に対して「東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と歌った。太宰府天満宮拝殿・右手前にその飛梅が立っている。
毎年梅の花が咲く頃には巫女が「梅の使節」として総理大臣官邸など各地を訪れて梅の盆栽を寄贈する。平成16年度(2004年度)の梅の使節が当時の総理大臣小泉純一郎に梅を寄贈したが、その際渡した品種が『おもいのまま』という梅だったため、当時構造改革などで政界を変革しようとする首相に、記者たちが挙って「政治もやはりおもいのままですか?」と質問した。
梅ヶ枝餅と抹茶
太宰府天満宮での御神酒は梅酒である。 また参道には梅ヶ枝餅と呼ばれる餡入りの焼き餅を販売している店が並んでおり、製作している風景も楽しめる。
茶屋
表参道から境内の奥まで、いたるところに茶屋があり、その多くは品目のうちに梅ヶ枝餅を用意している。そうした茶屋のひとつ「お石茶屋」について、吉井勇は次のような歌を詠んだ。
太宰府の お石の茶屋に 餅くへば 旅の愁ひも いつか忘れむ
この「お石茶屋」については勇のほかにも、野口雨情、犬養毅、佐藤栄作などが揃って贔屓にしたという[23]。
百選
御本殿近くの厄晴れひょうたん
かおり風景100選:太宰府天満宮の梅林とクスノキの森
新日本様式100選:太宰府天満宮の季節ごとに色が変わるおみくじ
雑事
警察庁発表の初詣者数では、毎年上位10位内に入り、初詣以外にも観梅の時季には観光客(参拝者)数が増加する。また学問の神とされることから受験時にも多くの参拝があり、九州への修学旅行の行程に組み込まれるほか、海外からの観光ツアーにも組み込まれてもいる。近年では韓国の釜山と博多港とを行き来する高速船「ビートル」や「コビー」の利用で、韓国からの旅行者が増加し続けている。
昭和51年(1976年)には年間来場者が400万人に及び、境内の公衆トイレの整備、水洗化が喫緊の課題となった。しかし水洗トイレの水源が確保できなかったため、窮余の策として境内の「神池」である心字池の水を利用することとなった。
平成17年(2005年)に天満宮近隣に九州国立博物館が開館。相乗効果で参拝者数が増加している。この九州国立博物館(通称「九博」)は、昭和46年(1971年)に天満宮が寄贈した約5万坪の土地を敷地としている。
大相撲九州場所が行われる際には、元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱部屋が境内に宿舎を構える。また傘下法人に幼稚園を運営する学校法人があり、卒園生でもある宮司の西高辻信良が園長を務め、伊勢ヶ濱部屋力士と園児の交流にも積極的に取り組む。
平成27年(2015年)には女性音楽グループのももいろクローバーZが、本殿前に特設の舞台を設けて歌唱奉納を行った。これは、近隣で開催したコンサート「男祭り2015 in 太宰府」のアンコール部分として企画されたもので、メンバーのみ会場から太宰府天満宮まで移動し、観客はスクリーンで中継映像を視聴する形で行われた。
俳優の菅原文太は生前に太宰府天満宮信徒会の会員となり、自身の長男が亡くなった際には境内の霊園に墓所を建立した。菅原自身も2014年に亡くなった後に境内の墓所に納骨されている。
交通
正月三が日は初詣客で周辺道路は大変混雑する。九州自動車道太宰府インターチェンジを降りて太宰府方面へ向かうと国道3号に出るが、交通規制により、すぐ側道を経由後左折して「水城1丁目交差点」から福岡県道112号を進み、同「関屋交差点」を左折後は福岡県道76号を利用し天満宮に向かうこととなる。この際所要時間は通常15分前後が数時間となる。ちなみに、国道3号を直進しても「君畑交差点」までの各交差点においては、インターチェンジ方面からの左折及び進入が規制されている。また、三が日以外の日においても志望校合格祈願の受験生と合格者のお礼参りが集中する例年1月から3月にかけての土日祝日を中心に混雑する。元々天満宮周辺の駐車場が不足気味であること、九州国立博物館への来訪者が同館の開館後に加わったこともあり、渋滞が顕著となり今後解消に向かって解決策が講じられる見込みもないため、自家用車の利用は推奨できない。これらの時期においては、西鉄電車西鉄太宰府線を利用した方が無難である。
公共交通
西鉄太宰府線太宰府駅から参道を通り徒歩5分。
西鉄バス・太宰府市コミュニティバス「まほろば号」も太宰府駅前に発着する。
JR鹿児島本線二日市駅から西鉄バス1-1,1-2番西鉄太宰府駅行きで23分
1時間に1本程度の運行のため、時間が合わない場合はJR二日市駅から西鉄バスもしくは徒歩12分でたどり着く西鉄二日市駅から、またはJR二日市駅から徒歩5分の西鉄紫駅から1駅の西鉄二日市駅から西鉄太宰府線を利用するのがよい。なお正月三が日は二日市駅 - 太宰府駅前間に直行便が運行される。
西鉄都府楼前駅より太宰府市コミュニティバスまほろば号内山行きもしくは5番北谷方面行き乗車、西鉄太宰府駅下車
博多バスターミナル・福岡空港国際線ターミナルより太宰府行きバス「太宰府ライナーバス旅人号」乗車、終点下車
上記のまほろば号と太宰府ライナーバス旅人号は大宰府政庁跡・坂本八幡宮最寄りの大宰府政庁跡バス停より太宰府駅への利用が可能
車
九州自動車道太宰府インターチェンジから15分
九州自動車道筑紫野インターチェンジから20分
周辺施設
九州国立博物館(用地を天満宮が寄付し、連絡通路(「虹のトンネル」)で直結している)
だざいふ遊園地(太宰府天満宮と西日本鉄道の合弁)
二日市温泉 (筑紫野市)
天拝山(別名、天判山 菅原道真公が無実を天に訴えた山)
武蔵寺(菅原道真公がこの寺の紫藤の瀧で身を清めた)
【太宰府市の概要】
太宰府市
太宰府市(だざいふし)は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である。
九州地区の統治組織「大宰府」が置かれた事により栄えた。太宰府天満宮や多くの特別史跡・史跡があり、毎年1000万人余りもの観光客が訪れる観光都市でもある。
なお、大宰府市との表記は誤り。
地理
福岡県の中部、福岡市から南東約16kmの場所に位置している。市域北部に四王寺山、市域東部に宝満山、市域西南部に天拝山(筑紫野市)があり、市の中央部を御笠川が横断して流れている。市域中央部は中心市街地が発達しており、大宰府にまつわる数多くの史跡・名所が存在する。西部・南部は福岡都市圏のベッドタウンとして住宅開発が進んでいる。
また太宰府市には大学、短期大学、高等学校等の学校が数多く存在していることから、県内でも北九州市折尾地区と並び、学生の街として有名である。
気候
九州型の太平洋側気候である。 年平均気温は15.9℃で、京都市や横浜市とほぼ同じ。ヒートアイランド現象の影響が大きく海に近い福岡市と比べると1.1℃低い。 梅雨は山と山の間にあるため特に末期は南西方向からのテーパリングクラウドの影響で大雨となりやすい。 夏は最高気温が上がりやすいが、平年の猛暑日は6.2日で福岡市とほぼ同じ。熱帯夜は15.8日で、福岡市の半分以下である。 冬はやや冷え込みやすく1月の最低気温は福岡市より2.1℃低い1.4℃、冬日は23.4日であるが、本州大都市圏の郊外都市と比べれば少ない。 また筑紫野市などと同様、山と山の間にあるため雪雲の通り道になりやすく、2,3回ほど雪化粧する年が多いが、10cmを超えるような大雪にはなることは稀である。九州道・3号線など太宰府市付近を通過する道路交通に影響が出る場合もある。
年平均気温 15.9℃
年平均降水量 1752.2mm
年平均猛暑日日数 6.2日
年平均熱帯夜日数 15.8日
年平均冬日日数 23.4日
※1981-2010年の30年平均
隣接する自治体
福岡県
筑紫野市
大野城市
糟屋郡宇美町
地名
町名[表示]
市名の表記
市名は「太宰府市」である。しかし、同じくダザイフと読む固有名詞でも「大宰府」と表記されるものがある(大宰府跡など)。一般には、古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するダザイフは「大宰府」
中世以降の地名や天満宮については「太宰府」
と表記される。この区別は、昭和30年代末頃、九州大学の鏡山猛教授が採用したことから一般的となった。
歴史
大宰府政庁跡
太宰府天満宮
7世紀 - 筑紫大宰(つくしのおおみこともちのつかさ)が置かれる。
663年 - 白村江の戦い。防衛のため大宰府を内陸(現在の大宰府跡)へ移したと推定される。
664年 - 水城(みずき)の設置。防人を配す。
671年 - 大宰府の名、『日本書紀』に初出。
801年 - 伊予親王、大宰帥(だいふのそち)になる。以後この職は名誉職となり、親王が補せられ、大宰府には赴任しなくなる。
901年 - 菅原道真、大宰府に左遷(903年没)。
905年 - 道真の墓の上に社殿が建てられる(現在の太宰府天満宮の元)。
941年 - 藤原純友の乱、大宰府炎上。
1019年 - 刀伊の入寇。
1158年 - 平清盛が大宰大弐となる。
1229年 - 筑前守護職、武藤資頼が大宰小弐となる(少弐氏の祖)。
13世紀後半 - 元寇。
1361年 - 懐良親王(南朝)、大宰府に征西府を置く(-1372年)。
1497年 - 小弐政資、大内氏に大宰府を追われる。小弐氏の滅亡。
1587年 - 豊臣秀吉、筑前国に小早川隆景(毛利氏支族)を封じる。
1591年 - 小早川隆景、太宰府天満宮社殿を再建。
1600年 - 関ヶ原の戦い。戦後の論功行賞により、黒田長政、筑前国に封じられる。
1864年 - 三条実美ら五卿が長州から太宰府(太宰府天満宮延寿王院)に移される(七卿落ち)。
近現代
1881年(明治14年)3月17日 - 御笠郡宰府村が御笠郡太宰府村と改称。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制実施。
御笠郡太宰府村
御笠郡水城村
1892年(明治25年)9月13日 - 町制施行。御笠郡太宰府町となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 那珂郡・席田郡(むしろだ ぐん)・御笠郡の三郡を統合、筑紫郡となる。
筑紫郡太宰府町
筑紫郡水城村
1955年(昭和30年)3月1日 - 筑紫郡水城村と対等合併し、新町制による筑紫郡太宰府町となる。
1982年(昭和57年)4月1日 - 市制施行。太宰府市となる。
2005年(平成17年)10月16日 - 九州国立博物館開館。
2015年(平成27年)4月24日 - 文化庁から日本遺産に認定される。
2016年(平成28年)11月3日 - 総合体育館(愛称:とびうめアリーナ)開館。
2017年(平成29年)4月1日 - 水城館開館。
2019年(平成31年) - 4月1日に発表された新元号「令和」の出典となった万葉集の一節が、大宰府にあった大伴旅人邸で催された「梅花の宴」について記したものであったことから、「令和」ゆかりの地として注目される[7][8]。
2020年(令和2年)1月15日 - 「令和発祥の都太宰府」を掲げる市のPRキャラクターを発表[9]。
合併問題
昭和の大合併
「昭和の大合併」に於いて、太宰府町(当時)と当時の筑紫郡の周辺6か町村の合併が実現しようとしていたが、新町名問題で合併協議会が紛糾し決裂した。1955年3月1日、太宰府町と水城村の急遽合併が決定し、新太宰府町が発足した。
平成の大合併
合併特例法による周辺市(市街地がほぼ一体化しており、とりわけ地理的、歴史的に繋がりの深い筑紫野市)との合併(いわゆる「平成の大合併」)は、一部の民間団体の活動を除いて気運が盛り上がらず、実現には至らなかった。しかしながら現在、水道、消防、ゴミ処理、火葬場等の広域行政は筑紫地域で緊密な状態を保っている。
行政
市長
楠田大蔵(2期目)
任期:2026年1月27日
市議会
定数:18人
任期:2025年12月11日
消防署
筑紫野太宰府消防本部(筑紫野市)
太宰府消防署
太宰府消防署東出張所
警察署・交番
筑紫野警察署(筑紫野市)
太宰府交番
水城交番
市関連施設
プラム・カルコア太宰府(中央公民館・市民図書館)
総合体育館(とびうめアリーナ)
プラム・カルコア太宰府(中央公民館・市民図書館)
いきいき情報センター
保健センター
総合体育館(とびうめアリーナ)
体育センター
男女共同参画推進センター ルミナス
総合福祉センター(太宰府市社会福祉協議会)
(財)文化スポーツ振興財団
太宰府市公文書館
公園
史跡水辺公園(市民プール)
梅林アスレチックスポーツ公園
太宰府市歴史スポーツ公園
史跡水辺公園(市民プール)
大佐野スポーツ公園
北谷運動公園
少年スポーツ公園
通古賀近隣公園
佐野近隣公園
ふるさと納税
返礼品
もつ鍋
明太子
一蘭ラーメン
工芸品
笑い
※楽天ふるさと納税返礼品
友好都市
大分県の旗中津市(大分県)- 2014年(平成26年)11月23日友好都市承継
宮城県の旗多賀城市(宮城県)- 2005年(平成17年)11月21日提携
奈良県の旗奈良市(奈良県)- 2002年(平成14年)6月27日提携
大韓民国の旗 扶餘郡(大韓民国忠清南道)- 2012年(平成24年)4月8日姉妹都市承継
教育
大学
私立
九州情報大学
筑紫女学園大学
日本経済大学
短期大学
私立
筑紫女学園短期大学
福岡こども短期大学
福岡女子短期大学
高等学校
県立
福岡県立太宰府高等学校
福岡県立福岡農業高等学校
私立
筑紫台高等学校
筑陽学園高等学校
中学校
市立
学業院中学校(1947年4月15日創立)
太宰府中学校(1979年4月1日)
太宰府西中学校(1985年4月1日)
太宰府東中学校(1987年4月1日)
私立
筑陽学園中学校(1991年4月)
小学校
市立
太宰府小学校(1874年3月2日創立)
水城小学校(1874年5月)
水城西小学校(1972年4月)
太宰府南小学校(1976年4月1日)
太宰府西小学校(1980年4月)
国分小学校(1982年4月1日)
太宰府東小学校(1984年4月1日)
私立
リンデンホール小学校(2004年4月創立)
特別支援学校
福岡県立太宰府特別支援学校
専修学校
筑紫看護高等専修学校
交通
空港
福岡市にある福岡空港が最寄空港
鉄道路線
西日本鉄道
西鉄天神大牟田線:都府楼前駅(副駅名:令和の里)[16]
都府楼前駅隣の西鉄二日市駅(筑紫野市)は駅北側構内に市境があり、一部は太宰府市に属している(ホーム部分は全て筑紫野市)。そのため、当駅が最寄りとなる地区もある(太宰府市側にある大学、及び小中高校で当駅が最寄りとなる学校がある)。
西鉄太宰府線:西鉄五条駅 - 太宰府駅
九州旅客鉄道(JR九州)
鹿児島本線:(太宰府信号場) - 都府楼南駅
都府楼南駅隣の水城駅(大野城市)は市境まで200m程度の距離にあり、当駅が最寄りとなる地区もある(駅名も開業当初の地名である筑紫郡水城村(現在の太宰府市西部地域)が由来となっている)。
市の中心駅:太宰府駅
市役所最寄り駅:西鉄五条駅
バス路線
西鉄バス - 西鉄バス二日市による運行(一部管理委託路線)。福岡市と太宰府市中心部を結ぶ路線、国道3号バイパスおよび朝倉街道経由で福岡市・太宰府市・筑紫野市・筑前町・朝倉市を結ぶ路線、太宰府市と宇美町を結ぶ路線、筑紫野市の西鉄二日市駅と太宰府市内各地を結ぶ路線がある。
まほろば号 - コミュニティバス。西日本鉄道(西鉄バス二日市に運行委託)が受託運行しているバスと、太宰府タクシーに運行委託している乗合タクシーがある。
九州では初めて導入された。
道路
有料道路
九州自動車道:太宰府インターチェンジ
福岡高速2号太宰府線:水城出入口 - 太宰府インターチェンジ
一般国道
国道3号
1路線 延長6.5km
県道
主要地方道
福岡県道31号福岡筑紫野線(通称5号線)
福岡県道35号筑紫野古賀線
福岡県道65号筑紫野筑穂線
福岡県道68号福岡太宰府線
福岡県道76号筑紫野太宰府線
一般県道
福岡県道112号福岡日田線
福岡県道505号板付牛頸筑紫野線
福岡県道574号水城下臼井線
福岡県道578号内山三条線
福岡県道581号観世音寺二日市線
福岡県道610号九州国立博物館線
県道11路線 延長23.6km
市道1752路線 延長323.8km
名所・旧跡・観光スポット
名所・旧跡
戒壇院
観世音寺
学校院跡
太宰府天満宮
竈門神社
戒壇院
岩屋城跡
国分尼寺跡
苅萱の関跡
王城神社
榎社
客館跡
光明禅寺(苔寺)
坂本八幡宮
僧玄昉の墓
万葉歌碑(25基)
般若寺跡
衣掛天神
石穴神社
だざいふ遊園地
文化財
特別史跡
大宰府跡
水城跡
大野城跡
史跡(国指定)
観世音寺境内および子院跡附老司瓦窯跡
学校院跡
筑前国分寺跡
国分瓦窯跡
宝満山
天然記念物(国指定)
太宰府神社のクス 3本
太宰府神社のヒロハチシャノキ
県指定史跡・天然記念物
天神の森(樟): 太宰府天満宮
横岳崇福寺跡: 鎌倉時代
宮ノ本遺跡: 奈良時代・平安時代
市指定史跡・天然記念物
陣ノ尾1号墳: 古墳時代
内山辛野遺跡: 中世
晴明井のエノキ
地禄神社のイチイガシ
若宮神社の杜
太宰府市民遺産
太宰府の木うそ
八朔の千燈明
かつてあった道「四王寺山の太宰府町道」
芸術家 冨永朝堂
万葉集つくし歌壇
太宰府における時の記念日の行事
隈麿公のお墓
太宰府の絵師 萱島家
苅萱(かるかや)の関跡とかるかや物語
太宰府の梅上げ行事
高雄の自然と歴史
太宰府悠久の丘~太宰府メモリアルパークからの眺望~
太宰府をうたう♪全11曲(作曲・唄 岩崎記代子)
梅香苑夏まつり子どもみこし
四王寺山の三十三石仏
宝満山のヒキガエル
※登録太宰府市民遺産一覧
歴史関連施設等
九州国立博物館
九州国立博物館
アジア文化交流センター
大宰府展示館
太宰府館
水城館
文化ふれあい館
季節の花
ウメ(2月~3月):太宰府天満宮境内・大宰府政庁跡
モクレン(3月): 戒壇院
サクラ(3月~4月): 大宰府政庁跡・竈門神社境内・四王寺林道・御笠川岸遊歩道
菜の花(3月~4月): 水城跡・観世音寺
レンゲ(4月): 水城跡
シャクナゲ(5月): 竈門神社周辺
アジサイ(6月): 大宰府政庁跡
ソバの花(6月): 太宰府市民の森
ハナショウブ(6月): 太宰府天満宮菖蒲池
菩提樹(6月): 戒壇院境内
コスモス(10月): 水城跡・観世音寺
紅葉(11月): 光明禅寺・太宰府市民の森
百選
かおり風景100選: 太宰府天満宮の梅林とクスノキの森
日本の音風景100選: 観世音寺の梵鐘
日本100名城: 大野城跡
新日本様式100選: 太宰府天満宮の季節ごとに色が変わるおみくじ
美しい日本の歴史的風土100選: 大宰府政庁、大野城、水城、太宰府天満宮
宿泊・温泉
ホテル グランティア太宰府・健康ランドみかさの湯(元・国民年金健康保養センター太宰府)
ホテル カルティア太宰府
ゲストハウス阿蘇び心
ゲストハウス太宰府
都久志の湯
行事・催事
祭事
鬼すべ・鷽替え(1月)
曲水の宴(3月)
梅上げ(還暦祝)(3月)
飛梅ちぎり(6月)
神幸式大祭(通称: どんかん)・千灯明(9月)
催事
消防出初式(1月)
くらしのうつりかわり展(1月)
梅花の宴(2月)
門前まつり(2月~3月)
九州自然歩道を歩こう会(3月)
ルミナスフェスタ(3月)
文化協会 春の祭典(5月)
時の記念日(6月10日)
花菖蒲コンサート(6月)
七夕まつり(7月)
ゆかたde太宰府~古都の夏~(7月~8月)
太宰府古都の光(9月)
太宰府市民政庁まつり(10月)
戦没者慰霊祭(10月)
環境フェスタIN太宰府(11月)
市民文化祭(11月)
筑紫美術協会展(11月)
観世音寺・戒壇院ライトアップ(年末年始)
舞台となった作品
老松(能)
藍染川 (能)
苅萱
源氏物語 - 玉鬘の段
平家物語 - 大宰府落の段
菅原伝授手習鑑 - 筑紫配所の段
経済・産業
マスコミ・新聞社支局
朝日新聞西部本社太宰府支局
朝日プリンテック 福岡工場
読売新聞西部本社筑紫支局
その他の企業・団体
筑紫公証役場
西日本高速道路九州支社
道路管制センター
福岡工事事務所
福岡技術事務所
太宰府郵便局
水城の里郵便局
水城郵便局
中央福岡ヤクルト販売
日本通運福岡南部ペリカンセンター
JA全農ミートフーズ
石村萬盛堂太宰府店
エーザイ福岡コミュニケーションオフィス
永利牛乳
にしてつストアレガネット太宰府
ルミエール太宰府店
ニトリ太宰府店
ザ・ダイソー福岡水城店
フジバンビ福岡太宰府店
イーケイジャパン(エレキット)
太宰府メモリアルパーク
筑紫医師会
特産品
梅ヶ枝餅
梅ヶ枝餅
菓子「うその餅」「宝満山」
梅酒(東風の梅)
献上願塩
梅塩ラーメン
梅の実ひじき
自然薯
木鷽
著名な出身者
★は故人
阿比留瑠比(ジャーナリスト)
★井上哲次郎(哲学者、東洋大学教授)
今井千尋(ミュージシャン、元Something ELse)
糸永有希(熊本放送アナウンサー)
岩下智子(フルート奏者)
大石達也(元プロ野球選手、現指導者、埼玉西武ライオンズ所属)
大田こぞう(ローカルタレント)
岡崎琢磨(作家)
岡澤アキラ(タレント、モデル)
小野口奈々(TVQ九州放送契約アナウンサー)
栗原隆司(鉄道写真家)
柴田亜衣 (元競泳選手)
下野六太(参議院議員)
堤かなめ(衆議院議員)
徳永玲子(ローカルタレント、女優)
二宮ひかる(漫画家)
野上亮磨(元プロ野球選手、現球団職員、埼玉西武ライオンズ→読売ジャイアンツ所属)
福岡竜馬(福岡放送アナウンサー)
藤澤義貴(NHKアナウンサー)
藤本索子(元ソフトボール選手、北京五輪ソフトボール金メダリスト)
山﨑圭一(高等学校教員、YouTuber)
山中大輔(プロボクサー)
六道神士(漫画家)
関連する人物
道下美里(2020年東京パラリンピック女子マラソン(視覚障害T12)金メダリスト。リオデジャネイロパラリンピック女子マラソン銀メダリスト):山口県下関市出身、当市在住。
【[旅気分]]海界の村を歩く 日本海 壱岐島(長崎県)・勝本浦 】
この動画は壱岐市勝本町の勝本浦地区(故郷・漁師町)だけの動画です。
勝本浦表通りに特化した動画です。
正直、私自身驚きました。私の実家も写ってます。
【辰の島遊覧&渡船】
「日本の海水浴場百選」の辰ノ島。壱岐随一の透明な砂浜の渚、奇岩・断崖絶壁を海から見上げる島巡り遊覧が一押し。
令和3年8月、勝本漁協観光案内所「ヒヨリミテラス」リニューアルオープン。
イカバーガーをはじめ、勝本町漁業協同組合漁師自慢のイカ料理を提供しています。遊覧船利用の前後に、ぜひお立ち寄りください。