◆沙里ママの呟き◆
20230602
少し遅れたけど、今年の母の日の贈り物ー互隣の家の皆さんと一緒に作ったそうです。
嬉しい。
ありがとうね!
【ヤコブセン症候群とは】
・Jacobsen症候群は、1/100000出生の頻度認められる稀な先天性症候群である。男女比1:2。
特徴的顔貌を有し、成長遅滞、精神運動発達遅滞、血小板減少、先天性心奇形などを呈する疾患である。
・11q23.3もしくは11q24から端までが欠失。
・日本の症例報告数は少なく、研究はあまりされていない。イギリスやアメリカは研究が盛んである。
<遺伝子検査が一般的になったのは、1980年代後半~1990年代。そのため気づかずに成長するケースも多い。検査方法としてはG分染法、マイクロアレイ法などがあるが、マイクロアレイ法(100倍程細かい検査)が行える病院は限られている。染色体の番号が小さいほど症状が重くなると言われているが、必ずしもそうとは限らない。1に近づく方が傾向として重いことはあるが、遺伝子の情報量が各部分で違うため、情報量の多い部分が欠損したら症状が多く出るということ。>
【疫学】
端部欠失例はJacobsenらが1973年に初例報告し、以後30例以上の報告がある。症例が比較的多いことと臨床症状が一定なためJacobsen症候群とも称される。
11番染色体は塩基数約1億4800万、遺伝子数1,692個、全遺伝情報の約4.5%
【遺伝性】
端部欠失も腕内欠失も多くの症例が散発例であるが、端部欠失例には親の均衡型相互転座由来の症例も散見される。90%が突然変異で10%が親からの遺伝、どちらかの親に転座がある。
【特徴】(必ず当てはまるわけではない)
☆外見
小頭症、三角頭蓋、眼間開離、眼瞼裂斜下、内眼角贅皮、眼瞼下垂、虹彩欠損、短い鼻、前向きの鼻孔、鼻根部平坦、耳介低位、耳介変形、両口角下垂、小下顎症、短顎、瞳や髪の色素が薄い、首が短い、おでこが広い
☆合併症
血小板減少、横隔膜ヘルニア、幽門狭窄、副腎低形成、水腎症、尿路奇形、尿路下裂、停留精巣、双角子宮、鼻涙管閉塞、鼠径ヘルニア
心奇形(VSD,ASD.総動脈幹など)先天性心疾患は56%に認め、心室中隔欠損症、左室低形成が多く報告あり。心疾患のうち10%が左心低形成という報告がある。消化管の異常は18%。
水頭症、全前脳症、無臭脳症、視神経委縮、斜視、遠視、難聴
関節拘縮、下肢長の左右差、皮膚性合指症、屈指症、骨奇形
【疾患の経過と予後】
・重篤な心疾患や繰り返す呼吸器感染症のため乳児期死亡例もみられる。生後2年の死亡率20%(原因は心臓と血液疾患による出血)比較的生命予後は良好。
・正常体重で生まれる60%身長の正常発育は25%、体重の正常発育は34%
・低身長(同年齢を100人集めると前から5番目以内)
・精神発達遅延96%(うち6割が重度、4割が中程度)4%正常。(正常、境界は3%以下であり、軽度~重度の精神遅滞は97%の情報も)IQ平均48の報告。
・血小板減少症に関しては、成長に伴って改善するといわれているが、血小板の機能不全(Paris-Trousseauパリストルソーなど)も報告されており、その機能に関しては改善しにくい。
・成長ホルモン・甲状腺刺激ホルモンが少ない場合が多い。免疫が弱いことも(T細胞の障害など)
・乳児期は哺乳や摂食・体重増加が少ない(筋力や嚥下の弱さ、嚥下物の胃から食道への逆流、幽門の狭窄、心疾患などによる。小柄ではあるが、幼児期以降は体格が徐々にしっかりしてくることが多い。)
・運動面では筋緊張の低下はあるものの、少しずつ乗り越え歩行できるようになる。
・外反扁平足、外反母趾になることも多い。
・食事、衣服の着脱、字を書く、コンピューターを使うなどの生活機能の習得もできるようになる。
・言葉は遅いが、表出に比べ理解は高い傾向。
・行動面では注意が続かなかったり、多動傾向に注意が必要なこともある。
・血小板の数値が安定していても、激しい運動は好ましくない。
・成長に従って注意欠陥多動症、統合失調症、双極性障害も報告あり。
・眼科、耳鼻科の合併もあり。(白内障、緑内障の報告も)
・生殖機能も弱く、中性的な男性が多い
・便秘
・寝つきが悪い、眠りが浅いなどの睡眠障害。睡眠時無呼吸症候群。
・自閉傾向を併せ持つこともあり、自閉症の原因のひとつが11番染色体に関係しているとの研究報告あり。
・脳MRIにて白質異常や孔脳症が認められたり、大脳白質の髄鞘化(脳内に情報が伝達される速度が速くなること)の遅滞が起こることもある。
【長崎県長崎市の概要】
長崎市
長崎市(ながさきし)は、長崎県の南西部に位置する市。長崎県の県庁所在地及び最大の都市でもあり、中核市に指定されている。
概要
長崎市中心部周辺の空中写真。
2010年5月8日撮影の45枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
「鎖国」体制であった江戸時代には、国内唯一の江戸幕府公認の国際貿易港(対オランダ、対中国)・出島を持つ港町であった。このため、出島跡を初めとして、異国情緒に満ちた港町として有名である。歴史的経緯からカトリック教徒の数が比較的多いことでも知られており、特にカトリック教会は長崎県単独で一つの大司教区を形成している(日本の大司教区は長崎含め3つあり、東京大司教区は東京・千葉で、大阪大司教区は大阪・兵庫・和歌山で構成)。
実戦で使用された核兵器(原子爆弾)としては、広島市に次ぐ世界史上2番目の、そして最後の被爆都市としても知られる。「近隣の核武装国による核攻撃を想定するのは、他国に誤解を与える」との信念の下で、全国自治体の中では唯一、国民保護計画案から、他国より核攻撃される事態の想定をあえて削除している(2007年5月11日 市長発言)。なお、長崎県は計画案の中で核攻撃への対処事項を記述している。
人口
1920年の第1回国勢調査では、横浜市に次ぐ全国7位、九州1位の都市だった。しかし、相対的地位は低下する一方で1930年の第3回調査で福岡市、1940年の第5回調査で八幡市(現在の北九州市八幡東区および八幡西区。のちに長崎市が抜き返すが、1963年に北九州市を発足させ再度逆転)、1947年の第6回調査で熊本市、1975年の第12回調査で鹿児島市、2000年の第17回調査で大分市にそれぞれ抜かれて九州6位の都市となった。2022年の7月1日には40万人を割り込み、8月1日には宮崎市に抜かれている。
現在でも人口減少が著しく、2020年の第21回調査では前回より藤沢市、豊田市、高松市、富山市に抜かれて、全国44位となっている。1975年から1980年代には現在の長崎市に相当する地域に人口50万人以上が居住していたが、2018年から2019年にかけて人口が4,832人減少し、社会減は全国の市で最も多かった。
人口減少が著しい要因としては、「坂の街」ゆえの住宅難がある。長崎市は、マンションやアパートの適地が少ないため都市規模に比して家賃や分譲価格が高い。2019年の民営住宅の月額平均家賃が福岡市よりも高く、名古屋市と同水準であった。そのため市は容積率を緩和して家賃高騰の解消を目指している。
地理
坂の街。大浦天主堂前の坂道。
坂の街。大浦天主堂前の坂道。
グラバー園より市中心部を望む。
グラバー園より市中心部を望む。
長崎半島および西彼杵半島を市域とする。諫早市、西海市、西彼杵郡時津町・長与町に隣接する。市の形状は全国的に見ても数少ない「すり鉢」状となっている。市の中心部は三方を山に囲まれており、女の都(めのと)・三原・本原・西山・片淵・小島(こしま)・稲佐(いなさ)・小江原(こえばる)・西町・滑石(なめし)など住宅地の多くは山の斜面を利用している。そのため「階段の街」「坂の街」として有名である。坂が多いため自転車に乗る人は少なく、他の都市でしばしば問題になる放置自転車等の問題は少ない。また、「自転車屋」を名乗りながらも原付バイクだけを扱う店も多い。長崎市内の小学校・中学校・高等学校は立地条件の関係上全ての学校で自転車通学が禁止されており、自転車置き場すら存在しないほどである。
市の中心部を流れる川には、北部から南下し長崎港へ注ぐ浦上川と、市の北東部から長崎港へ注ぐ中島川とがある。それぞれ川沿いに平地と埋立地があり、商業地や公共施設はそこに集中する。
長崎港の外海は五島灘や橘湾に面しており、急峻な海岸線が多いが、河口部などのわずかな平地に漁港と集落が点在する。
東部(橘湾・天草灘) - 宮摺(みやずり)・茂木・飯香浦(いかのうら)・日見・矢上・戸石など
西部(五島灘) - 神浦(こうのうら)・出津(しつ)・黒崎・三重・畝刈(あぜかり)・式見・小江(こえ)・福田など
南部(五島灘 - 天草灘) - 深堀・香焼(こうやぎ)・蚊焼(かやき)・高浜・野母・脇岬・樺島・川原・千々(ちぢ)など
北部(大村湾) - 西海(にしうみ)・村松・大石・戸根・長浦・形上・小口など
北西部の三重・畝刈地区や東部の矢上・かき道地区などは近年開発が進み、住宅地が増えた。
2005年1月4日の市町村合併では、長崎半島西南部や有人島の離島である伊王島・高島・池島、石炭産業の衰退で無人島となった端島(通称:軍艦島)が編入合併された。さらに2006年1月4日の市町村合併では大村湾沿岸の旧琴海町が編入合併された。
2005年12月11日に、長崎港の両岸の女神地区、木鉢地区を結ぶ「女神大橋(通称:ヴィーナスウィング)」が完成した。これは中央径間長が480メートルに達し、全長は1,289メートルで、斜張橋としては横浜ベイブリッジを上回って全国第6位の長さとなる。長崎南バイパス完成により長崎自動車道と接続され、長崎市街地南部一円を循環する長崎南環状線の一部となった。
ダムは浦上水源地・本河内水源地・鹿尾(かのお)ダム・神浦ダムなどがあるが、市街地に近い水源では環境が悪く、上水道事情はあまり良くない。市外からは大村市の萱瀬ダムからの送水のものもある。また、斜面が多いために下水道の整備も目下進行中という状況である。
地名
長崎の地名はかつて存在した、現在の市役所付近を付け根とし現在の県庁を先端とした岬に居を構えた桓武平家九州千葉氏本家が、岬の長さから長崎氏と名乗ったことに由来するとされるが、長崎御崎に館を構えた北条内管領家の鎌倉長崎氏から枝分かれした九州長崎氏に由来するとされるとの説もある
気候
年間平均気温は17.4℃、年降水量は約1,894.7mmである。暖流の影響が強く、九州の他都市に比べても寒暖の差は小さい。近年、大雪が多くなってきている。特に2016年(平成28年)1月24日には17cmの積雪を記録した。 長崎のご当地ソングには雨が登場するものが多いため、長崎は雨が多いと思われがちだが、年降水量が突出して多いわけではない。長田暁二によると「長崎のご当地ソングで雨が初めて登場するのは1939年の「長崎物語」で、同曲や1947年の「雨のオランダ坂」のヒットにより、長崎と雨が結びつくようになったのでは」という
歴史
年表
1764年出版の古地図
1764年出版の古地図
1801年出版の古地図
1801年出版の古地図
1858年出版の古地図
1858年出版の古地図
大正の市役所本館、手彩色絵葉書
大正の市役所本館、手彩色絵葉書
長崎市(1870年代)
長崎市(1870年代)
戦国時代から天正期まで
天文24年(1555年) - 長崎織部亮為英によって京都から諏訪社を分祀。
永禄10年(1567年) - 宣教師ルイス・デ・アルメイダによるキリスト教の布教。
元亀元年(1570年) - 大村純忠長崎開港。
元亀2年 (1571年) - ポルトガル船初来航(〜寛永16年(1639年))。大村純忠、六町(島原町、大村町、外浦町、平戸町、横瀬浦町、文知町)を建設。
天正8年(1580年) - 大村純忠、長崎港周辺部と茂木(現長崎市茂木町)をイエズス会に寄進。治外法権のイエズス会領となる。
天正10年(1582年) - 天正遣欧少年使節出発。
天正15年(1587年) - 豊臣秀吉による九州国分。長崎港での南蛮貿易独占のためバテレン追放令を布告。
天正16年(1588年) - 豊臣秀吉、長崎を直轄領とし、イエズス会城塞を破壊、鍋島直茂を代官とする。
天正20年(1592年) - 豊臣秀吉、寺沢広高を初の長崎奉行に任命する。
慶長2年(1597年) - 豊臣秀吉による日本二十六聖人の処刑。
江戸時代
慶長9年(1604年) - 徳川幕府、京都・堺・長崎に糸割符制度を導入。
慶長10年(1605年) - 長崎を徳川幕府直轄領に移管。長崎奉行小笠原一庵を派遣。
慶長14年12月12日(1610年1月6日) - デウス号焼討ち事件。
慶長17年(1612年) - 禁教令。バテレン教会の破壊と布教の禁止。宣教師、信者は国外追放。
元和2年(1622年) - 貿易港を平戸と長崎に限定。
元和8年(1622年) - 元和の大殉教。
寛永元年(1624年) - 興福寺創建。
寛永3年(1626年) - 崇福寺創建。
寛永11年(1634年) - 眼鏡橋架橋。長崎くんちの始まり。
寛永12年(1635年) - 出島完成、ポルトガル人を収容する。
寛永16年(1639年) - ポルトガル人追放。
寛永18年(1641年) - オランダ東インド会社の平戸商館、出島に移転。
寛永19年(1642年) - 市中の遊女屋を全て丸山町に集める。
延宝元年(1673年) - イギリス船リターン号来航、通商要求は拒絶。日本に来航できる欧州の国はオランダ1国のみに確定。
元禄2年 (1689年) - 唐人屋敷、新地唐人荷物蔵設置。
元禄3年(1690年) - ドイツ人エンゲルベルト・ケンペルがオランダ商館付医師として来日。
元禄11年(1698年) - 長崎会所設置。
元禄13年(1701年) - 長崎喧嘩騒動。
正徳5年(1715年) - 新井白石、国際貿易額を制限する長崎新令を制定。
享保9年(1724年) - 銅座設置。
文化元年(1804年) - ロシアの外交官ニコライ・レザノフ来航。
1808年(文化5年) - イギリス軍艦フェートン号侵入。
1823年(文政6年) - シーボルト来日(翌年、鳴滝塾開設)。
文政11年(1828年) - シーボルト事件。
弘化2年(1845年) - イギリス海軍サマラン号来航事件。
嘉永6年(1853年) - ロシア軍人エフィム・プチャーチン来航。
安政元年(1854年) - 長崎港開放。
安政2年(1855年) - 長崎海軍伝習所開設(〜安政5年1858年)。
安政5年(1858年) - 長崎英語伝習所設置。日英通商条約交渉のため英国のエルギン卿と秘書のローレンス・オリファント来日。長崎の町(と人々)が非常に清潔で乞食も見当たらないと記す。
安政6年(1859年) - オランダ商館閉鎖。
文久元年(1861年 ) - 長崎製鉄所、長崎養生所設置。グラバー、ジャーディン・マセソン商会長崎代理店設立。
文久3年(1863年) - グラバー邸竣工。
元治元年(1864年) - 日仏修好通商条約に基づき大浦天主堂完成。
元治2年、慶応元年(1865年) - グラバー、大浦海岸で蒸気機関車を走行させる。大浦天主堂主任司祭ベルナール・プティジャン神父、隠れキリシタン発見(いわゆる信徒発見)。
慶応3年(1867年) - 浦上四番崩れ。
慶応4年(1868年) - 長崎奉行河津祐邦退去。九州鎮撫総督澤宣嘉長崎府に着任。
明治期から第二次大戦まで
明治3年(1870年) - 外国人居留地完成。
1878年(明治11年) - 長崎区役所設置。
1886年(明治19年) - 寄港中の清国北洋艦隊水兵による暴動事件。
1889年(明治22年)4月1日 - 市制施行で長崎市が発足する。
1893年(明治26年) - 孔子廟完成。
1899年(明治32年) - 居留地回収。
1912年(大正元年) - コレラが流行。周辺町村も合わせて2000人が罹患[9]。
1914年(大正3年) - 市内で天然痘が流行。患者数は1月から8月までに150人余り[10]。
1923年(大正12年)2月11日 - 長崎-上海間に日本郵船による日華連絡船航路の運航が開始される。
1933年(昭和8年)12月1日 - 長崎市歌を制定。
1934年(昭和9年) - 3月から5月にかけて国際産業観光博覧会が開催される。
1940年(昭和15年) - 長崎造船所で戦艦武蔵進水。
1945年(昭和20年)8月9日 - 午前11時2分、アメリカ軍により原子爆弾が投下される[11]。7万人以上の住民が死亡し、市内家屋の約36%が壊滅。
第二次大戦後
1955年(昭和30年)8月 - 平和祈念像完成。
1972年(昭和47年)10月2日 - 長崎トンネル(長崎本線・新線)開通。
1977年(昭和52年)
10月15日 - 平戸発長崎行きの西肥バスが阿蘇赤軍を名乗る人物によりバスジャックされる(長崎バスジャック事件)。
11月 国際観光文化都市に指定される。
1981年(昭和56年)2月 - ヨハネ・パウロ2世長崎訪問。
1982年(昭和57年)7月23日 - 最大1時間雨量が111.5mmという記録的な大雨が降り299人が犠牲となった(長崎大水害)。
1990年(平成2年)1月18日 - 長崎市長銃撃事件が発生し長崎市長の本島等が重傷の被害を受ける。
1991年(平成3年) - 東山手・南山手が、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定される。
1994年(平成6年) - 建物や橋、植物などの被爆による現況調査と現存した建造物の保存対策開始
1997年(平成9年)4月1日 - 中核市に指定される。
2007年(平成19年)4月17日 - 長崎市長射殺事件が発生、市長の伊藤一長は翌日午前2時28分に死亡が確認された。
2022年(令和4年)9月23日 - 西九州新幹線が長崎駅-武雄温泉駅間で開業。
事始め
英字新聞(日本初、ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザーを参照)
国際電信(日本初)
缶詰製造(日本初)
汽車(日本初の蒸気機関車が走った場所である。慶応元年(1865年)イギリス人商人のグラバーが上海から輸入した英国製蒸気機関車「アイアン・デューク」号を大浦海岸(数百メートル)で走らせたことから、長崎市梅香崎町の市民病院前に「我が国鉄道発祥の地」の碑がある。「鉄道発祥記念碑」は日本で初めて鉄道の営業運転(1872年)が行われた横浜市にある。日本の鉄道史を参照。)
気球飛揚の地(日本初)
コーヒー(伝来)
ワイン(伝来)
ジャガイモ(伝来)
鉄橋(日本初)(銕橋を参照)
バドミントン(伝来)
ボウリング場(日本初)
ヨット(日本初、英国人船大工が英国商人の注文で建造)
オランウータン(伝来)
ダチョウ(伝来)
天領 長崎
市中と郷
長崎奉行の管理下にあった天領としての長崎は、「市中」という内町・外町と、「郷」という農村部から成っていた。内町は、大村純忠が1571年(元亀2年)に造った6町(島原町、大村町、外浦町、平戸町、横瀬浦町、文知町)をはじめとして、1593年までに本興善町など23町が成立していた。外町は、材木町、本紺屋町、袋町、酒屋町などで、1597年(慶長2年)に内町との町域を定めた。
ポルトガル等との貿易によって栄えた長崎は、町の区域が徐々に拡大していったが、その領地は幕府領と大村領に混在していたため、1605年(慶長10年)に幕府領の一部と大村領の一部を交換し、円滑な支配が行えるようにした。
これにより「市中」と「郷」からなる天領長崎が確立したが、外町の町域はその後も拡大を続け、1672年(寛文12年)には内町26町、外町51町とされ、両町合計77町になった。さらに、外町の出島町と遊廓のあった丸山町、寄合町の3町を加え、80町となった。1676年(延宝4年)には外町の検地が行われ、これによって長崎の町域が決定した。1699年(元禄12年)には、内町と外町の区分が解消されている。
幕末の1857年に外国人居留地を建設するために大村領戸町村が幕府に没収されたが、この時までは上記の体制が続いた。
行政
行政区域の変遷
1889年(明治22年)4月1日
市制施行により、長崎区の全域及び上長崎村・下長崎村の各一部の区域をもって長崎市が発足する(推定面積7.00km2 人口54,502人)。
町村制施行により、西彼杵郡及び北高来郡のうち後の市域にあたる以下の各村が発足。()は合併・分割または改称した村、他は単独での村制施行。
西彼杵郡:上長崎村(上長崎村の残部)・下長崎村(下長崎村の残部)・戸町村・淵村(←浦上淵村・神ノ島村)・浦上山里村・西浦上村・小ヶ倉村・土井首村(←土井首村・竿浦村・平山村)・福田村・深堀村(←深堀村・大籠村・香焼村)・日見村・茂木村・式見村・矢上村・三重村・伊王島村(←伊王島・沖ノ島)・高島村(高島)・野母村・脇岬村(脇御岬村)・樺島村・高浜村・為石村・川原村・蚊焼村(←蚊焼村・布巻村)・神浦村・黒崎村・村松村・長浦村
北高来郡:戸石村・古賀村
1898年(明治31年)
7月1日 - 深堀村から香焼村が分立する。
10月1日
下長崎村の全域及び上長崎村・戸町村・淵村の各一部を編入する(面積(推)16.00km2 人口113,307人)。
淵村から小榊村が分立する。
1919年(大正8年)10月1日 - 茂木村が町制施行、茂木町となる。
1920年(大正9年)10月1日 - 上長崎村・浦上山里村を編入する(面積41.10km2 人口232,912人)。
1938年(昭和13年)4月1日 - 西浦上村・小ヶ倉村・土井首村・小榊村を編入する(面積90.54km2 人口268,954人)。
1948年(昭和23年)10月1日 - 高島村が町制施行、高島町となる。
1950年(昭和25年)4月1日 - 福田村の一部を編入する(面積90.64km2 人口247,248人)。
1955年(昭和30年)
1月1日 - 福田村・深堀村を編入する(面積114.23km2 人口292,765人)。
2月1日 - 日見村を編入する(面積121.32km2 人口296,323人)。
2月11日
矢上村・戸石村・古賀村が新設合併し町制施行、東長崎町が発足。
為石村・川原村・蚊焼村が新設合併し町制施行、三和町が発足。
神浦村・黒崎村が新設合併し、外海村が発足。
4月1日 - 高浜村の一部・野母村・脇岬村・樺島村が新設合併し町制施行、野母崎町が発足。同日、高浜村の残部(端島名)と高島町が新設合併し、あらためて高島町が発足。
1959年(昭和34年)1月15日 - 村松村の一部と長浦村が新設合併し、琴海村が発足。
1960年(昭和35年)5月3日 - 外海村が町制施行、外海町となる。
1961年(昭和36年)11月3日 - 香焼村が町制施行、香焼町となる。
1962年(昭和37年)
1月1日 - 茂木町・式見村を編入する(面積165.41km2 人口372,027人)。
5月20日 - 伊王島村が町制施行、伊王島町となる。
1963年(昭和38年)4月20日 - 東長崎町を編入する(面積206.62km2 人口392,072人)。
1969年(昭和44年)1月1日 - 琴海村が町制施行、琴海町となる。
1973年(昭和48年)
3月31日 - 三重村を編入する(面積238.12km2 人口431,181人)。
4月1日 - 時津町の一部(横尾地区)を編入する(面積239.03km2 人口433,196人)。
2005年(平成17年)1月4日 - 香焼町・伊王島町・高島町・野母崎町・三和町・外海町を編入する(面積338.72km2 人口447,103人)。
2006年(平成18年)1月4日 - 琴海町を編入する(面積406.35km2 人口454,739人)。
姉妹都市・提携都市
海外
姉妹都市
アメリカ合衆国の旗 セントポール(アメリカ合衆国ミネソタ州):日本史上最初の姉妹都市提携。
ブラジルの旗サントス(ブラジル連邦共和国サンパウロ州)
ポルトガルの旗 ポルト(ポルトガル共和国ポルト県)
オランダの旗 ミデルブルフ(オランダ王国ゼーラント州)
オランダの旗 ライデン市(オランダ王国南ホラント州)
中華人民共和国の旗 福州市(中華人民共和国福建省)
フランスの旗 ヴォスロール(フランス共和国ノルマンディー地方
友好都市
イギリスの旗 アバディーン市(イギリス連合王国スコットランド)
中華人民共和国の旗 中山市(中華人民共和国広東省)
ドイツの旗 ヴュルツブルグ市(ドイツ連邦共和国バイエルン州)
国内
提携都市
広島県の旗広島市(広島県)
1975年(昭和50年)8月5日 - 平和文化都市提携 <長崎市への原子爆弾投下>
兵庫県の旗相生市(兵庫県)
2002年(平成14年)4月16日 - ペーロン都市交流提携
その他
日本の旗開港5都市間交流
1993年(平成5年)8月 - 1858年(安政5年)の日米修好通商条約により日本最初に開港した5都市共同で交流事業を実施
日本の旗龍馬の絆都市間交流
2014年(平成26年)11月15日 - 龍馬の絆で結ぶ都市間交流宣言締結
国際機関
中華人民共和国 在長崎中華人民共和国総領事館
フランス 在長崎フランス名誉領事館
オランダ 在長崎オランダ王国名誉領事館
ポルトガル 在長崎ポルトガル名誉領事館
産業
工業、造船業
三菱重工業長崎造船所、三菱電機などの工場が集中。長崎が三菱の企業城下町とも言われる所以である。
観光業
鎖国時代からみなとが海外に開かれていたことから、異国情緒のある街として知られる。また、原子爆弾の被爆地であることから、修学旅行の目的地とする学校も多い。
水産業
長崎漁港は捕鯨や東シナ海を漁場とする「以西底引き網」の基地として繁栄。1989年に市北西部の畝刈・三重地区に主な漁港機能を移転した。長崎漁港以外にも多くの漁港がある。
畜産業
西彼杵半島南部では肉牛・乳牛の養育も行われる。
本社を置く主な企業等
コミュニケーションワン
五島製麺
たらみ
チョーコー醤油
長崎電気軌道
長崎自動車(長崎バスグループ)
浜屋百貨店(浜屋デパート)
カステラ本家福砂屋
文明堂総本店(各地の文明堂の元祖)
桃太呂
HTBクルーズ
童話館
十八親和銀行
長崎銀行
山田水産
金融機関
銀行
中央銀行 - 日本銀行
都市銀行 - みずほ銀行、三菱UFJ銀行、三井住友銀行(法人営業のみ)
地方銀行 - 十八親和銀行(本店、支店52、出張所1)、佐賀銀行、福岡銀行、西日本シティ銀行、肥後銀行、北九州銀行(旧山口銀行)
第二地方銀行 - 長崎銀行(本店、支店11)
政策金融機関 - 日本政策金融公庫、商工組合中央金庫
信金・信組・労金等
信用金庫 - たちばな信用金庫
信用組合 - 長崎三菱信用組合、近畿産業信用組合、長崎県医師信用組合
労働金庫 - 九州労働金庫(ろうきん)
農林中央金庫
農協・漁協・生協
JA長崎せいひ(JAバンク)
本店(元船)、支所19、出張所2
漁業協同組合(JFマリンバンク)
茂木漁協、長崎市みなと漁協、長崎市たちばな漁協、長崎信漁連
全労済長崎県本部
郵便局
郵便局(ゆうちょ銀行)
集配局12局
長崎中央郵便局、長崎北郵便局、長崎東郵便局
茂木郵便局、深堀郵便局、三和郵便局、野母崎郵便局
三重郵便局、村松郵便局、式見郵便局、神浦郵便局、黒崎郵便局
無集配局63局
簡易郵便局8局
商業
中心部
眼鏡橋などといった文化財が多く、また路面電車が長崎市中心部を走る。長崎駅付近、新地中華街にはバスターミナルもある。
大規模アーケード商店街である浜町アーケードやベルナード観光通アーケード、またゆめタウン夢彩都やアミュプラザ長崎など大型複合商業施設が多い地区であり、浜町〜観光通一帯は古くから長崎一の繁華街で、思案橋・丸山地区は江戸時代以来の歓楽街である。
高層建築物が多く、長崎港は近年急速に開発が進み、長崎港ターミナル、松が枝国際ターミナル、水辺の森公園などが十年前〜近年整備された。水辺の森公園内には長崎県美術館、AIGなどもある。また、長崎駅裏の長崎漁港跡地には長崎県庁舎、県警本部などの移転のため土地開発も進んでいる。
長崎市中部(浦上駅周辺)
北部が原爆落下中心部であり、原爆資料館や平和公園がある。
JR浦上駅があり、この駅を通る全列車が停車する。地元バス会社が経営するみらい長崎ココウォーク(バスターミナルと合体している)が2008年にオープンした。
近くには長崎新聞社や長崎文化放送など地元メディア局や、長崎ブリックホールなどといった文化的施設が多い。
西浦上地区
中園商店街とサンモール住吉がある。付近は再開発が進み、複合商業施設チトセピアやジョイフルサンがある。長崎大学の文教キャンパスにも近いため、学生向けの店やアパートなども多い。
路面電車は3路線で、昼間は約3分に1本以上(松山・長崎駅前・中心部方面行き)、バスは住吉地区が各住宅街からのバスの経由地となっているため、バスが絶えることはない。
東長崎地区
1963年4月1日までは東長崎町であった。長崎市中心部寄りに隣接する日見地区を含める場合もある。
国道34号線日見バイパスが通る。路面電車は通っておらず、JRの鉄道路線も東長崎北部を通っているため(JR現川駅、肥前古賀駅)、公共交通の中心はバスである。
2012年、東部地区ニコニコセンター(支所併設)がオープンした。
主な大規模商業施設
ゆめタウン夢彩都(大波止地区)
アミュプラザ長崎(長崎駅)
みらい長崎ココウォーク(茂里町)
長崎西洋館(浜口町・川口町)
チトセピア(千歳町)
浜屋百貨店(浜町)地下1階、地上9階建て
長崎大丸(浜町) - 2011年7月31日をもって閉店。
長崎玉屋(佐世保玉屋長崎支店。新大工町) - 2014年2月をもって閉店。
イオン東長崎ショッピングセンター(東長崎地区最大。約30のテナント)
教育
教育
大学
国立
長崎大学
県立
長崎県立大学(佐世保校、シーボルト校)
私立
活水女子大学
長崎外国語大学
長崎純心大学
長崎総合科学大学
短期大学
私立
長崎女子短期大学
※廃校になった短期大学に関しては廃止された日本の短期大学一覧を参考。
高等学校
県立
長崎西高等学校
長崎北高等学校
長崎工業高等学校(全日制・定時制)
長崎鶴洋高等学校
長崎東高等学校
長崎南高等学校
鳴滝高等学校(定時制・通信制)
長崎明誠高等学校
市立
長崎商業高等学校
私立
海星高等学校
活水高等学校(女)
クラーク記念国際高等学校長崎キャンパス
瓊浦高等学校
純心女子高等学校(女)
精道三川台高等学校(男)
聖母の騎士高等学校(男)
長崎玉成高等学校
長崎女子高等学校(女)
長崎女子商業高等学校(女)
長崎総合科学大学附属高等学校
長崎南山高等学校(男)
こころ未来高等学校(広域通信制)
【[旅気分]]海界の村を歩く 日本海 壱岐島(長崎県)・勝本浦 】
この動画は壱岐市勝本町の勝本浦地区(故郷・漁師町)だけの動画です。
勝本浦表通りに特化した動画です。
正直、私自身驚きました。私の実家も写ってます。
【辰の島遊覧&渡船】
「日本の海水浴場百選」の辰ノ島。壱岐随一の透明な砂浜の渚、奇岩・断崖絶壁を海から見上げる島巡り遊覧が一押し。
令和3年8月、勝本漁協観光案内所「ヒヨリミテラス」リニューアルオープン。
イカバーガーをはじめ、勝本町漁業協同組合漁師自慢のイカ料理を提供しています。遊覧船利用の前後に、ぜひお立ち寄りください。