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長崎県(壱岐市)・月読神社(壱岐)

長崎県(壱岐市)・月読神社(壱岐)
20180629

神聖だよね。

建立されたのも京都より早かったと祈願に来た方に説明されてあった。

感謝

二拝二拍一拝



基本情報
所在地:〒811-5103 長崎県壱岐市郷ノ浦町新田触890-2
電話:0920-47-3700


Official site









ご鎮座の由来 延喜式に壱岐郡 月読神社『名神大』とあり

 月讀尊の御事については、古事記の上巻に、伊邪那岐名・伊邪那美命の二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられたと表されています。
 また、日本書紀には、「すでに大八州国(日本)及び山川草木を生むことが出来た、何ぞ天下(あめのした)の主君(きみたるもの)を生まざらむ」といわれて、是に天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられたと記されてあり。 また一書には日に並ぶともあります。即ち天照大御神及び月読尊は並にこれ、質性明麗し。故、天地に照し、臨ましむ。
 天照大御神のご神徳は    「その光華明彩(ひかりうるわしいこと)六合に照り通るほどでございます。」と太陽にたとえて表されておりますので、月読尊のご威徳は、それに次ぐものとして、月になぞらえておたたえしたものと拝されます。
 太陽、月、大地、自然、と共に神は存在されておられるとい言う事(アミニズム)を壱岐の祖先は熟知され月が万物(すべて)に利益を与えるごとく邪心(よこしまなこころ)が無く玄徳(最も奥深い徳を極められていたようです。
 壱岐の県主の先祖「忍見宿称(おしみのすくね心)」が西暦四八七年月読神社を分霊して壱岐から京都に祭りに行かれた。
 忍見宿称(おしみのすくね)により、神道が中央に根ずく事になったとされております。つまり、壱岐島が神道の発祥の地といわれております。
 京都、洛西、松尾大社の横に月読神社はあり。伊勢神宮の内宮に月読宮、また外宮に月夜見神社があります。壱岐島の月読神社が全国の月読社の「元宮」とされております。


月讀神社 
月讀神社(つきよみじんじゃ)は、長崎県壱岐市芦辺町国分東触に鎮座する神社である。
橘三喜により延喜式内社(名神大社)と査定されたが疑わしい。

【御祭神】
月夜見命、月弓命、月読命の3柱を祀るがいずれも同神である。古くは「山の神」と称されていた。

・月読命(右)
 読むというのは月齢を数えることであり、日を数えるのは暦(大陰暦)である。したがって月読と、稲作、潮の満ち干きとは大変深い係がある。
・月夜見命(中)
 月夜というのは単に月のことである。月は夜出るわけであるから月夜と言った。見は心霊を表す。従ってこの見は月を神格化した。他の
・月弓命(左)
 三日月は弓の形をしている。そこから月読が月弓に音が変化するのに伴って感じも弓が当てられた。

【鎮座】
・鎮座年数は不詳であるが、顕宗天皇三年(四八七年)には既に存在していた。

【御神徳】(暦・潮の満ち引きなど月にまつわるので全ての行い)
一.生命の誕生(安産・健康・病気平癒)
一.漁業の繁栄(航海の安全・大漁)
一.農業の繁栄(自然界では、旧暦の暦と共にある)

【主な祭典】
☆一月一日 歳旦祭
☆九月二三日(旧暦) 例大祭・大神楽・御神幸祭
☆12月三一日 除夜祭・大祓式
☆毎月 一日・十五日 月次祭

★古事記によれば、イザナギの命が黄泉の国から帰られたとき、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原において、禊ぎ祓いされ、左目の目を洗われたとき天照大御神、右目を洗われたとき月読命、鼻を洗われたときスサノオウの命がお生まれになった。この三柱の神を特に三貴神と呼び大神とは別格と記されている。

【月読神社縁起】

一.顕宋天皇三年(四八七年)阿倍臣事代という官吏が天皇の命を受けて朝鮮半島の任那に使いにでる。その際に人に月の神が神がかりしまして「土地を月の神に奉献せよ、そうすれば良いことがあろう」という託宣があった。それを朝廷に奏したところ、これを受けた朝廷は壱岐県主の押見の宿禰に命じて、壱岐の月読神社から分霊させ京都に祀られた。

一.舒明天皇二年壱岐の公乙等を筑紫の伊都に遣わし神石を求め、一つを京都の月読神社に納める。この石はその昔、神功皇后が月読の教えによりお産を延ばされた事で「月延石」と名付けられた。その石は今伊都の鎮懐石八幡宮と壱岐の月読神社にあると言われている。

一.文武天皇大宝元年初めて行幸あり、神石をご覧になられ、壱岐古麻呂に命じて紙幣を奉納し神税を古麻呂に給う。

一.宝亀三三年暴風雨で木や家が倒れた。これを占うと月読神の祟であった、そこで忌部正美が奏じ、神島の山城・壱岐・伊勢にある月読神社に遣わして神の怒りを鎮めた。

一.國分郷古木村清月に社在り、延宝四年(一六九二)六月朔日建立拝殿の内に石の御殿有り、拝殿は西北西向きで萱葺き梁行二間、桁行二間半である。境内は、東西二五間余り、南北三一間余り、周囲一町一七間余り、山中参道一六間。祠管榊原主殿藤原正益、定祭九月二三日云々。

一.式内大社の例により、神階を進められる。

一.霊元天皇延宝四年六月朔日、松浦肥前守従五位下源朝臣鎭保、石祠及び木鏡を寄進。
「木鏡の銘」には、「奉ル備二四座ノ内月読神社御正木鏡一面」

※【壱岐氏の居館跡】

・月読神社のご祭神「月読命」の子孫押見宿禰は壱岐氏(壱岐県主)の遠祖である。下の鳥居から西方面(湯ノ本方面)約五〇〇mの所に国片主神社(拝殿が壱岐氏の居館跡といわれている)がある。
壱岐七神社、五大天神として多くの人の信仰がある。


歴史
延宝以前の由緒来歴は不明。延宝4年(1676年)に平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社の調査を行った橘三喜が当神社を式内名神大社の「月読神社」に比定し、同年6月1日に藩主松浦鎮信により石祠と神体として木鏡1面が奉納され、以後しばらくは式内社とされたが、それ以前は特段の祭祀設備もなく単に「山の神」と称されるのみであった。三喜が式内社と認定したのは鎮座地が「清月(きよつき)」と呼ばれていたからであったが、別に「ふかつき」とも呼ばれており、その語源は「ふかふち」であると見られるので、この三喜の判断には疑問が持たれている。

神功皇后が三韓征伐の際に腹に当てて出産を遅らせたとされる石、月延石の内一つが奉納されているとされるが、現在所在が分からなくなっている。古来はかなりの社格を持った神社だとされているが、長い間忘れ去られていて現在氏子など地元住民や島外の崇敬者によって、社殿などの整備が行われている最中である。社殿は木々に覆われていて、昼なお暗く月の神を祀る神社らしい風情がある。

なお、壱岐島の月読神社に関しては、『日本書紀』顕宗天皇紀に、同天皇3年(西暦487年)、阿閉臣事代が任那に使いに出された時、壱岐島で月神が憑りついて宣託をしたので天皇に奏上し、壱岐島から月神を勧請して山城国葛野郡歌荒樔田の地に葛野坐月読神社を創建したとあり、その元宮とされる。


 
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